家の片付け

朝から鼻水が止まらない。。。

一日中鼻水が出て、困ったなー。アレルギーが原因だろうな。

ゆっくり起きて、アイロンがけして10年ぶりくらいに裁縫をすることに。

玉留め、玉結び久しぶりにしてみたけど、思ったよりも上手くできた。

いろんな場所を片付け。

気になっていたところをかたっぱしからできたので、大満足。

より快適に、生活できるように整えることができた。

片付けが好きっていうよりは、自分が快適に過ごししたい気持ちが根底にあって、

乱雑な状態だと、自分の状態も整わなくなってしまうんだなーって

改めて知ることができた。

そのままでも問題は全くないんだけど、もっと自分が快適に、気持ちいい状態で

あり続けるためにはどうしたらいいのかを考えるとすっきりすることがわかってきた。

してもしなくてもいいことをもう一回一から見直していって、

その先に、もっと大切なことがある気がする。

小さいことを一つ一つ丁寧に、どちらでもいいとしても必ず自分で判断をくだすこと。

判断を自分でしないと、それが気持ちよいことなのか、嫌なことなのか

わからなくなってしまう。

人から決められると、決められたからといって、我慢したり、従ったり

思考が停止してしまう。

それでは、いつまで経っても自分の人生を生きることにはつながらない。

そう考えると今まではたくさん選択から逃げてきたなー。

自分の人生を人任せにして、誰かがいいというから、

そうした方がいいのかなって事ばっかり選んできた。

その結果、苦しむことが多くなっていって、

我慢してやったつもりになっても、満足できなかったり、楽しくなかったり。

一時的な嫌な気持ちから逃げたせいで、そのあとの長い時間を

望んでいない時間に囚われてしまう。

このことが、真面目だと思っていたけど、自分に従ってそうなったのか、

自分を騙し騙し、真面目を装っていたのか。

逆にどんなにばからしくても、なんと言われようとも、自分の思ったことに従う強さが

あるかないか。

小さい頃は確かにあった。心から自分はなんでもできる存在なんだって思ってた。

いろんなことを学んでいくうちに、自信を無くしてしまったとたん、

いろんなことが難しく感じるようになった。

少しづつあの時の感覚が戻ってきている。

染み付いたものをしっかりと落として、削ぎ落としていくこと。

それが今必要なこと。いらないものをどんどん剥がしていく。

 幸せをそばで感じる

  今日は大切な友人の前撮りをさせてもらえるとのことで朝から福岡に。

幸せいっぱいの2人をそばで見れるだけで、こんなにもテンションが上がってしまうなんて。

大切な人の笑顔を見ることってこっちまで幸せになるなんて!

存在するだけで、絵になる2人の写真を沢山撮りまくって、

すきなことをしているのに、とっても喜んでもらえて、幸せの輪が広まっていって!

これが人生なんだろうなー。そして、それまでに乗り越えることがあっても

その後には、幸せに溢れる瞬間が待っている。

少しづつ、ほんの少しづつ、変わっていく。

この変化が本当に楽しくて病みつきになる。

お弁当がある幸せ

久々の、アルバイト。

いままで、お仕事は大変なもの。我慢してやるもの。だと思っていたけど

こんなに楽しく自分の時間を過ごしながらお金をもらうことができる体験をできるのは、

なんて幸せなんだろう。

嫌なことはすることなく、好きなことだけをすることができる。

誰かに縛られるわけでもなく、自由自在に過ごすことができる。

作業したい時に作業して、したいようにお店のレイアウトを変えたりして、

やるべきことはしっかりやったっらあとは自由時間。

時間はたっぷりとある。

この時間を暇にするのか、なにかを考える時間するのか。

人とは違う時間の使い方をできるので、働いている感覚はもちろんないし、

すきなことをするだけで、お金をもらうことができるってこういうことなんだろうな。

誰かの困っているを解決して、自分の時間は有意義に使えて、

どちらにとっても、メリットがある。

せっかく好きなことで働かせてもらうなら、プラスアルファでできることを自然と考えることができるし

何よりストレスが一切ない。

自由がこれだけ多くのものをもたらすなんて、びっくり。

無職になって、お金について嫌でも考える環境にとびこんで、

沢山の時間をかけながら自分自身と向き合うことができる。

この環境に巡り合えたことだけでも、幸せいっぱいだし

生きててよかったなって思うことができる。

沢山の、いい循環に巡り合いながら自分だけの道を作り出していく

学ぶことは沢山あるけれどそのどれもが毎日のワクワクにつながっていく。

毎日ワクワクしているからこそ、新しい発見の連続で、

さらにいい循環に導いてくれる。

あとはそれを満喫しながら、自分の楽しいを追いかけていく。

こんな幸せをありがとう。

新しいお友達

たまたま偶然が重なって新しいお友達ができた。

だけど、すぐ壊れるのが怖くなってしまった。

なんでも話したら、少し距離が縮んだ気がする。

壊れなくて本当によかった。

正直になんでも話せる関係が一番。

九重 登山 びより

8時起床からの大分 牧ノ戸峠へ。

久々の登山+キャンプで荷物の準備がままならないまま出発。

初日は、星生山→天狗が城→中岳→稲星山→白口岳→坊がつるのルート。

キャンプ道具ありの登山は、やっぱり足にくる。

一年くらい前までは、荷物も軽い状態で久住山だけ登っても帰りは足が震えていたのに、

今では、縦走までできるようになってちょっぴり嬉しい!

歩き疲れたあとは、法華院温泉。

気持ち良すぎて言葉にならない。。。

山の上で温泉に入れるなんてどれほど幸せなことか。

ゲキサムの中、鍋であったまって就寝。

案の定寒さで途中目が覚めてしまった。

もっと寒くなってきたら、星が綺麗だろうなー。

翌朝は、朝駆けで大船山へ。

日の出を見に行ったけど、寝不足と低血圧で体調不良。

なんとか、日の出の時間に間に合った。

まだ、微かに紅葉も残っていて、雲海もバッチリ。

寒空の下での、スープは絶品。ジェットボイル様様。

キャンプ場に戻ってひと段落して、再出発。

三股山があんなにきついとは。。。

西、本、南、Ⅳ初めて登ったけど、なかなかのきつさ。

本から南への道のりでは、荷物に対して道が狭すぎて

スリーピングマットが削られて無残な姿に。。。

前日のゴミをバックの外に括ってたら、それにも穴が開いて

山頂に着く頃には両手いっぱいにゴミを抱えてた。。。

足もピークになってきた頃に、スガモリから久住分かれへの登り。

ご飯もあまり食べていない状態で登ったのでガス欠寸前。

軽い気持ちで挑んでいたので、補給も何も持ってなく

補給食の大切さが身に染みた。。

最後の方は、考える余裕もなく、ただひたすら足を動かすことだけに集中。

一歩でも前に進むために。進むたびに、足が重くなり全然進まない。

なんとか下山。こんなに嬉しい下山は人生2回目。

全身がカロリーを求めていたので、自販機のコーラを買ったらまさかの

コカコーラゼロ。。。。

うん、違うんだよ。カロリーが欲しいの。

友人にゼロをあげて、コーラを再購入。

これほど美味い、コーラがあるものか。。。。耐え凌いだあとのコーラは中毒症状があると思う

肉まん、よもぎまんじゅうを補給して帰り道へ。

道中に炭酸温泉があったので、立ち寄り湯。

じんわりと温まって、疲れが吹き飛んでいく。と同時に眠気もマックスに。。。

帰りは、安定の車内カラオケ大会。

あまりにもカレーが食べたくなって、CoCo壱によって大盛りカレー。

無事に帰宅することができた。

疲れた体に晩酌しながら近況をお話。

一時的に離れていろいろ考えたりして、振り返って話し合えたことはとってもよかったなー。

こうやっていつでも話したいことを話せる関係性って幸せなことだと思う。

一人では、ずっと家にいてしまうから外に連れ出してくれる存在があり、

家に帰れば、幸せな時間がたくさん詰まっていて、

これ以上、何を求めるんだろう。。

この幸せは幸せで感じつつ、たくさんの幸せをたくさん味わえるように、

これからもできることを一つづつ重ねていく。

もっと大きな幸せを感じるために。

喧嘩してもいいさ

お互いの価値観や考え方が違うからこそ、

一つ一つ丁寧に向き合わないとすれ違ってしまう。

似たもの同士だったら、こんなことは起きないんだろうけど、

それだけでは、人生の幅は狭いままになってしまう。

お互いに違うからこそ、惹かれ合う部分があり、

尊敬できる部分があり、認め合うことができる。

お互いが察し合うような関係だけでは、新しいものは生まれないと思う。

違って、ぶつかって、主張しあった先に、

新しい着地点が生まれてくる。

喧嘩や、相手を恐れることなく、

思ったことをはっきりと主張し会える関係をこれから先も続けていきたい。

久々のそとランチ

久しぶりに外出してランチを食べに。

お店の雰囲気も、料理も美味しくて大満足。

そのあとはぶらぶら買い物をしたけど人も多くて、車も多くて、

少し疲れてしまった。

大人しくしておくべきなのか、出かけていろんなものをみるべきなのか。

良い状態を続けていくためにはどうしたら良いんだろう。。

いつものひととき

何気ない日常の会話だけでも幸せを感じることができる。

人のできないことをできる時間、

自分のためだけの時間、

この時間を今までたくさん、本来は必要のないことに使ってしまっていた。

悩むべきではないことに時間を使い、どうでも良いことにクヨクヨし、

何も生み出さなければ、自分自身を消耗するばっかりで、

人にも優しくすることもできなければ、逆に人からエネルギーを吸い取るようなことまで。

その時は、そんなことをしている感覚もなく、むしろ自分自身が苦しんでいると

勘違いまでしてしまう有様。

何も疑問をいだかず、今の自分が正しいと錯覚し、どうしようもない状況だった。

その時は、それで必死だったし、自分を守ることに自分のエネルギーを使っていた。

そうでないと、自分がなくなってしまうから。

その空間から、距離を置いて、自分の馴染めない空間から物理的にも、

精神的にも離れることができて、ようやくおかしいことに気がつくことができた。

離れないまま、過ごすこともできたと思う。

誤魔化しごまかしであれば、いくらでもできてしまうもの。

そのモヤモヤを、リセットできるのか、

それとも違う環境に飛び出すことができるのか。

どちらの決断をしたとしても、自分に正直になって

いろんなものを捨ててでも判断できたのか。

それとも、他を気にしてできないのか。

違和感を押し殺すのか、違和感を開放してあげるのか。

何があっても、大丈夫って思えるようになるまで時間がかかったなって思う反面、

これからのたくさんの時間を、新しい生き方で暮らしていけるって、

幸せなんだなって思える。

いつ、成功するかもわからない状況でそこにかけることができるって、

できないよなー。

度胸なのか、みる目なのか、センスなのか、直感なのか。

多くの人が、絶対選ばないような選択のその先にしか、

他の人が驚くような結果は待ってないんだろうなー。

何があっても、大丈夫。

いつものひとときが、こんなにも幸せに溢れているのは

おかげさま。

いつも、ありがとう。

のんびり

無事に元気になって本当によかった

一時はどうなるかと思ったけど、どうにかこうにか元気になった。

改めて、看病の難しさ?を感じた日々でもあった。

早く治って欲しい気持ちと、自分も眠たかったり、きつかったり。

そう考えると、世の中のお母さんや病院とかに勤めている人は

すごいなって感じる。

自分の気持ちとか、考えとかをひとまず置いといて、

その人に対して、優しさを届けてあげている。

優しさについて、またゆっくり考えてみよう。

ただ、よくすることだけが優しさではなくて、

その人が求めていること?を想像してお届けする。

何が一番喜ぶのか、考えて考えて出てきたものを届ける。

そんなことができたらなー。

ゆっくり、ゆっくり時間をかけて、少しづつ創りあげていく

お家にいれること

何かあったときのために、いつでもお家に入れることはとっても素敵なこと。

お仕事も大切だし、自由な時間も大切。

だけど、大事なときに一番大切なものを守るために、

他のことを理由にしたくない。

自分の時間は、何があっても一番大切なことのために使う必要があると思う。

何かを理由に、他のことができないっていう言い訳は、

どちらに対しても失礼なこと。

今は、全ての時間を自分の大切なことだけに使うことができていて

これが本来あるべき姿なんだなって思うことができた。

何かを成し遂げるよりも、とても大切な何かをこの期間に見つけることができた。

仕事に追われていたり、本当に好きかどうかわからないことをしている間は、

見つけることは難しいと思う。

今の自分は幸いなことに、好きなことを好きなだけできて、

自分自身と対話することができて、心から安心できる環境があって。

一人では決して成し遂げることができないことをすることができている。

自分の欲望のままに生きることができる。

この幸せを、たくさんの人たちを分かちあえるように、

今は精一杯、この環境に感謝して

いつ、その時がきても良いように、準備を進めていくだけ。

焦らず、騒がず、淡々と。

何もしていないように見えて、たくさんのことを発見している。

この発見を一つ一つ大切に育てていきながら、いつか誰かのためになることを祈って。

きついときに、いかに優しくできるか。

苦しいときに、いかに笑顔でいられるか。

強いのではなく、しなやかに。

いつも笑顔でそばにいられるように。

いつも心がけて生きていく。