SNSより魅力的か

人が、目の前にいるにもかかわらず SNSを覗いてしまうことがあった。

今となっては、当たり前の光景かもしれないが、

何かを待っている人、食事中の人、仕事の休憩、複数人で過ごす時間

その中でも、SNSに昂じてみたり。

好きなものがたくさん詰まっていて、楽しくもドキドキもさせてくれるような夢の箱があって。

それに対して、自分自身はどうなのかなとつくづく感じる。

目の前の人が、SNSをみている時、

自分はSNSよりも楽しい人間なのだろうかと。

ただ、楽しいだけではなく、考えさせられたり、勇気を与えられたり、

そんな人間なのだろうかと。

好きなことを我慢する必要はないし、みたい時に、みたいものをみれる環境はとても素晴らしいもの。

SNSは漠然と楽しい好きな情報がたくさん流れ込んでくるけど、

目の前の人間は、漠然とは情報を流してくれないかもしれない。

嫌なことをいってくるかもしれない。

全く新しい価値観や情報をくれるかもしれない。

そのためには、掘り下げたり自分から動かないといけないかもしれない。

どちらも遊び方は自由だけど、

いつでも楽しめるものと、その瞬間だけの特別な楽しさ?わくわく?発見?と。

自分自身が、誰かといる時にSNSをみてしまった反省と、

SNSより難易度は高いかもしれないけど、面白さがたくさん詰まっている人との関係性を、会話を楽しめるような自分自身でありたいなというお話でした。

面白いことは、流れてくるものよりも、

自分で見つけ出して、磨いて、輝かせるものかもしれない。

SNS見るよりも、こいつと話してると

止まらんなーって人間になりたいものだ!

休みについて

これからは、休みについても変わってくる。

今までは、土日祝日休みがよしとされていたけど、

、、、、いや 自分自身がそう感じているだけだった。

ただ、なんとなく土日祝日おやすみって言葉に惹かれていた。

休みがたくさんあって、趣味や自分の時間を充実させることができて。

いままで、学校も土日が休みだったからその延長で仕事も考えてしまっていたけど、本当にそうなのかな??

最近は、土日が休みであることに疑問を持ち始めた。

車でどこかに移動する場合は、たくさんの車があり渋滞してしまう。

楽しい場所に行くと、人の多さに圧倒されてしまう。

同じような人間が、同じように考えて行動することによって、同じような場所に人が集まって。

平日だったらかからないような時間を、お金をかけて同じことをする。

それって、お金とか、楽しみとか考えればそれでもいいのかもしれないけど、

時間はどうなんだろう。

同じことをするなら、人が少なくて、車も少なくて、同じ楽しみが味わえるならそれの方がいい気がするのは違うのかな?

今の環境があるから、土日でも、平日でも自由に時間があるので、どちらも体験することができるが、今までのように働いているだけでは、この感覚は得られなかった。

覚悟決めて、動いてみればあとはどうにかなるしかないから、

それによって、周りからはたくさんたくさんアドバイスをいただくこともとっても増えた。

真っ当な答えは帰ってくるけど、それはたぶんその人自身が考え抜いて出てきた考えではなく、こうあるべきってところから抜けれないかぎり、同じことが繰り返されてしまう。

本当に、ありがたいことなんだけど、もっと違う世界もあるよって。自分自身が経験してないと、

これから、自分の子供ができた時に、自分自身と同じ考えに子供を縛ってしまうことになる。

こうしなさい、ああしなさい、こうでなければならない。

いや、違うでしょ。

自分の子供だとしても、子供ではなく、1人の人間なんだから

どんな判断、決断でも実現するためのサポートをするだけで、自分が考えたことを伝えることはあっても自由を奪うようなことはしたくない。

自分がその状況を経験してないと、何も話すことはできないんだから。

自由な考えをあなたはそうなんだね。応援するよって、言うためにも今の環境、状況は幸せとしか言いようがない。

今は、コロナの時代になってきて働き方もどんどん変わっていっているので、

そろそろ、企業も土日祝日おやすみという体系から変化が起きてくる。

すぐには行かないだろうけど、そもそもカレンダーで土日祝日が休みって誰が決めたんだろう。

同じ1日には変わらないのに、なんとなく優劣?があるようなないような。

そうなってくると、企業も水木がおやすみとか

人が多い土日は仕事をして、人が少ない日をおやすみにしてリフレッシュを推奨しますとか。

法律で日曜日の勤務はーとかあるかもしれないけど、その辺りも変わってくる。

人の密を回避しながら、休みを満喫しながら、

飲食や、宿泊関係の繁忙期を一極集中ではなく、分散することができて、

従業員やスタッフの負担も減らすことができる。

相手企業が、おやすみだからとかたくさんそんな問題が出てくるだろうけど、社会全体として変わっていく必要があるから、国を挙げて乗り越えていかなきゃなんだろうなー。

今は、副業とかもできる環境だから、多くの人が今まで以上に社会に貢献できるチャンスがどんどん増えている。

同じ業界だけではなく、異業種へのチャレンジがどんどん増えることによって、業種の垣根がなくなっていくだろうなー。

異業種には、チャンスが眠りまくっている。その技術を異業種に変換できれば、大きく変革が起こるってことは無限にある。

まだまだ、アナログでたくさん人の手をかけてやっている分野もあるから、そこをいかに見つけて、参入できるか。

話はとっ散らかってるけど、とにかく。

これからが、楽しみだ!

気づかれないことが本当の優しさなのかもしれない

優しさの種類ってたくさんあると思うけど、

相手に気づかれないような優しさってなんか素敵だなって思う

気づかれてしまったら、お返しをしなきゃとか、次は何かしようってなる

もちろん、そんな関係があってもいいと思うし、

それがある意味普通なのかもしれないけど、

気づかないうちに、過ごしやすい環境や雰囲気や、

準備を整えてくれる。

そんな存在が周りにいるかどうか。

本人からしたら、それを優しさとかんじていないからそんなことができるかもしれないけど、それってとっても優しさに溢れていると思う。

あれしといたから、これしてあげたから。

それは、優しさの初級編なのかもしれない。

ほすぴたりてぃというのか?

相手にいかに気を遣わせずに、その快適な状況をつくりだすことができるか。

気づくのに、とってもとっても時間がかかってしまったけど、気付いた時に

はっと思わされてしまう。

これは、誰かが

感謝されるためとか、帰ってくるものを期待してとかではなく、

ただ、その人のことを想うその気持ちだけで、やっていることなんだって

ちょっとや、そっとでは見えてこない、

優しさの向こう側にふれられることができるのは、

幸せ以外なにものでもないきがする。

そんな感覚で、周りをみてみると、意外な発見とか

気づきがたくさん生まれるかもしれない。

ってな感じで、今日も1日すごしてみようかな。

気付いた人が

やったらいいんだと思う。

よく、気がつく人はこうするのが当たり前だから

なんでこんなことに気づかないんだって誰かに対して思ってしまうみたいだけど、

いやいや、ちょっとまって気づかないんだよ。

せっかく、あなただけが気付いていることなのに。

その気づきを誰かを使って解決しようとする限り、そのイライラとかの感情はいつまで立ってもなくならないんじゃないかな??

誰もが同じことに気付けるなら、あなたは必要ではなくなるし、

誰かも必要ではなくなる。

一人一人、感じること、気付けることがちがうんだから、

いま、こうやっていろんなことが成り立っているはず。

ゴミが落ちていることに気付いたら、

なんで誰も拾わないんだじゃなくて、そっと自分で拾ったらいいんじゃないかな?

気付けるって素敵なことだから。

それって、脳が疲れてるのかもしれない

休んでいるのに、身体がきつかったり

何かしたいんだけど、なんにもやる気がでなかったり、

早く回復して元気になりたいからいろいろ調べたりするんだけど

いい方法が見つからなかったり。

どうも、身体は疲れやすくなってるから

身体を休めることを優先させてしまうけど、どうも違うみたい。

身体が疲れていると、運動不足だからとか、いろんな理由をつけて自分を責めてしまうけど、それも違うみたい。

ずっと考えてきて、答えがわからなかったけど

脳が疲れているのかもしれないって気付けたのは、

「ボーッと過ごしたり、無心になれる時間をつくったから」

つくったというよりも、無心になる時間ができたから

狙ったわけではない時に限って、いい発見がある気がする

狙って、脳の疲労を回復しようだなんて考えていては、一生脳の疲労に気付けなかったかもしれない

回復するために調べたり、なにか本を読んだりする限りずっと脳に情報が垂れ込まれてくるので脳疲労は取れない

一時期、テレビをみないようにしてきたが、

テレビもSNSも油断すれば意識せずにずっと情報が流れ込んできてしまう

何も感じなければ問題はないが、ちょっとだけそのボリュームを調整してあげると、日常生活や、仕事の質は格段に上がってくる。

忙しくすることも、必要だが

ボーッとしている時間の方がとっても大切

忙しくして、誰かに怒ったりストレスをためるくらいなら、

ぼーーっとして、誰かに優しくしてあげる方が、なんかちょっといい気がする

というか、忙しくしているのは自分なんだから、

それをもって、忙しい、忙しいと言うことも違う気がしてしまうけど

誰かに優しくあるためには、のんびり、ゆったり、柔らかさをもって

そのためにも、ぼーっとしてみよー!

さて、金曜日!

楽しいお仕事にいってらっしゃい!^^

したいことと、やりたいことと

したい仕事、やってみたい仕事がたくさんあって

あれもしたいし、これもしたいし、選べなくなってしまう。

基準というか、何を大切にするか

一番外せないことと、妥協できること

今日は、これが一番にお思えるし、

明日は違うことが一番になる

それを決めてしまうことができればある意味考えなくていいのかもしれないけど、

この面で考えたらこうだし、

違う面で考えればこうだし。

さてさて、皆さんはどんな基準で考えていますか??

あれもできない、これもできないではないから、楽しい嬉しい悩みなんだけど。

むしろ、全部やるにはどうすればいいのかな??

ピラティスもしたいし、大学職員という環境も楽しそうだし、外車のディーラーも楽しそうだし。

他にも楽しそうな仕事がたくさんあるから。

仕事に適度に文句を言いながら、ストレス発散しながら働くことができなかったから、

文句言うくらいなら、無限に仕事はあるんだから違うことしたらいいのに。

そんなふうに思って、会社を辞めてはや1年以上

やめたからこそ、いろんな経験をすることができて。

辞めてなくても、いろんな経験ができたんだろうけど。

文句があっても、それ以上に誰かに貢献できるような。

自分がしたいことだけじゃなくて、自分の得意が誰かの苦手を補ったり、誰かの楽しみに繋がったり。

誰かのお役に一番立てるものを基準に考えてみようかな。

皆さんの、考えがあれば教えてください^^

物欲、時間

お金がたくさんあれば、あるだけ、それと同等か、それ以上の価値のあるものを手に入れることができる。

お金持ちになって、好きなものを好きなだけ買える人生は素晴らしいと思う。

もっと、ランクが高いもの、上質なもの、追いかけて追いかけて、さらにお金が必要になって。

ある程度以上のお金を稼げるようになると、次に来るのは、時間がたくさん欲しい。ある程度までだと、お金だけで一生を終えてしまうかもしれない。

その次のステップは時間である。

お金持ちがもてはやされる中、これからは、時間持ちってことも大きな価値を生み出すようになる。

今の時代は好きなことを仕事にがキャッチフレーズになっていて、多くの人が好きなことを仕事にするために、動いている最中である。

自分自身も同じように考えていた。

世の中にはいくらでも仕事はありふれていて、たくさんの選択肢の中から自分自身で選んだ仕事で文句を言うことに馴染めなかったから。

好きなことで仕事をする人はすごいんだとか、羨ましいとか本気でおもった。

けど、今になって考えてみると、どちらでもいいんだなって。

好きだろうが、嫌いだろうが、その仕事が誰かの役に立って、誰かの生活が少しでも楽になっていれば、自分の感情も大切だけど、そこだけに目を向けずに、もっと大きく見てみれば、いろんなことに影響をしているんじゃないかな。

せっかく、自分の時間をつかうんだったら、嫌な仕事でも世の中のまだ出会ったことないかもしれない誰かのために、がんばってみることもいいのかもしれない。

嫌なことを感じる時ってどうしても、視野が狭くなって目の前の人だけを相手にしてしまって、広く、大きくみれなくなる。

ほんのちょっと、深呼吸してみて、

遠くの誰かのことを考えてみると、なんかちょっともう少しできそうな気がしてくる。

大金持ちが、なんとしてでも手に入れたい時間をみんな平等に使えるんだから、ちょっとだけ、誰かのためにやってみよー!

自信、モチベーション

持ってないとだめなのかな??

自信って言葉を知っているがために、自信がないと行動できなかったり、

自信がないからできなかったり。

誰かが作った「自信」って言葉に踊らされていないかな??

目に見えるようで、見えない自信を意識してしまうがために、上手くいかないこともあるんじゃないかな?

子供の頃は、自信なんて言葉を知らずに、ただ、自分がやりたいと思ったことを思ったままに表現できて。

教育って、何かを知っているかのような大人が、

子供にとって必要のないことを詰め込んでいるのかな??

大人になったら困るからといって、親切のような親切じゃないような。

これでは、いけないのかなって感覚は子供の方が圧倒的に敏感で、

怒っていたり、イライラしている姿には敏感に反応する。

危ないこととかはあっても、それ以外の失敗をたくさん事前に止められてしまって。

子供や、部下が失敗してから困るのは立場上、上にいる人間だから。

それを未然に防ぐために、ある意味、言いなりにさせてしまえば、余計な問題は起こることがなくなる。

子供は自信があるから、いろんなことを物怖じせずにできるのだろうか?

大人は、自信がないからいろんなことへの挑戦から逃れてしまうのか。

自信を知ってしまった人間は、あるようでないような自信を持ったように振る舞って生きるのか。

あるようでないような自信を身に付けるために何かを学ぶのか。

そもそも、自信って誰が考えたんだろう。

あなたならどうしますか?絡まった糸を解くとき、

糸が絡んでいる時にどうやって解きますか?

今日は海苔の養殖をお手伝いしてきました。

養殖で使う、専用の紐があるんですが大量にあってたくさん絡み合って解くのが難しかったんです。

一生懸命引っ張ってみたり、ごちゃごちゃとしてみたり、

なんか、たぶんよくわかんないけど、

人生と似てるんじゃないかなーって

強く引っ張っても、ごちゃごちゃしてみても解けなかった。

だけど、力を抜いて、身を任せるように揺らしてみると

あら不思議、簡単に解けてしまう。

問題とか、困ったときとか、苦しいときとか、そんなときって、

たくさんの紐が複雑に絡んでいて、一つ一つ、原因を考えながら解決していくこともできるけど、たくさん時間がかかったりそんなことをしている間に新しいことがおこったりして。

そこには、必ず無理が生じていて、解決しようしようと、力強くすればするほど紐はギュッと硬く結ばれてしまって、解くことができなくなる。

いままで、漠然としか考えたことがなかったけど、偶然紐をみながらそんなことを考えてしまった。

ただの言葉でしかなかったモノが、現実になって現れて解決方法まで教えてくれた。

ただ、紐が絡んでいて解くのがめんどくさくて、投げ出してしまっていたり、力尽くで解いていたら気づけなかったかもしれない。

紐が絡んでいて、解いたことなんて今までの人生でたくさんあったはずなのに。

いま、このタイミングでなにか知らせてくれたのかもしれない。

そう考えると、

今まで、たくさん本を読んで知識をたくさん持っていることが素晴らしいことだと思ってきたけど、何気ない生活の中から見つけ出した、何気ない気づきにはもっともっと、大きな発見があるのかもしれない。

それは、これまで本を読んできたから気づけたことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

どちらにしても、自分がやってみたいと感じたことをやってみれば、

それが、どこかで何かのだれかの役に立つかもしれないし、立たないかもしれないし。

計画的て、いろんなことを考えて、着実に実行する人は本当にすごいと思うけど、なんかそんなことから外れて、道からそれてみて、上ばっかり見て歩かないで、下を見ながら歩いても、なんか、綺麗な雑草を見つけるかもしれない。

なんでもありだし、なんでもなしだし、

あるような、ないような。

両方知ったうえで、選んでいけばいいんじゃないかな。