向き合ってみる

向き合うこと、乗り越えることも大切だと思う。

けど、そこに我慢があるのであれば、逃げたりした方がいいと思う。

向き合って乗り越えたり、我慢してたどり着くことに関しては、

誰かに語る時には意味があるかもしれない。

僕はこんな我慢をしてきたんだ。こんなに大変なことを乗り越えてきたんだって。

でも、我慢しなくても、向き合わなくてもたどり着けるところはあると思う。

人それぞれ、向かう場所も、価値観も、存在意義も違うんだから

みんなが、乗り越えたり、向き合ったりする必要なんてないんだ。

向き合ったり乗り越えることが美化されている時代だけど、

反対のことをやるだけでも、ちょっとだけみんなとは見える景色が違ってくる。

思いつき

殻を破る。

自分が変化する時は、何かの外側に行くようなイメージを持っていた。

自分というからを捨てて、新しい自分と出会う。

たくさんの本に書いてあるので、そんなふうになっているんだろうと思っていたけど、本当にそうなのか疑問に思った。

外側に出ることが変化なのか。変化は外側に出ることなのか。

新しい自分になるってなると、なんか頑張らなきゃいけないような気がして、

何かを捨てて、新しい自分を手に入れる的な感じ。

特殊なことをしたり、我慢したり、今の自分が嫌だからって変えたいって思いからそんなふうになっているみたい。

むしろ逆だと思う。

内側に内側に掘り進んでいくイメージ。

自分の周りにたくさんついている、価値観や、理想、現実、夢、希望、しがらみ、ほかにもたくさん。

それを一つ一つ外していくことが自分が変わるって意味だとおもう。

今まで自分自身も新しい自分に生まれ変わりたいと強く願っていろいろやって、結局変われずに自分はダメなやつなんだってイメージが固まっていった。

変化には、何か我慢が必要で今の自分からとび出すことだと思っていたから。

けど、内側に掘り進んでいくって考えてみると、今の自分を大切にしながらいらないものを壊していって、新しい自分に出会って

好きな自分に近づいていくのが楽しくなるんじゃないかなー。

今の自分を嫌いになって、新しい今の自分が好きな自分に飛び出すよりも、

自分は自分なんだから、今の自分も必要なわけであって、

けど、新しい環境だったり、心境の変化で昔の自分が必要じゃなくなったら、一つ掘り進んでいけばいいんじゃないかな。

掘り進んでいくんだから、簡単に壊れるからもあれば、

超絶に固い甲板みたいなからもあるかもしれない。

その時その時に、必要な力も時間も変わってくるのは当たり前で、

たくさん変化しているように見えて、実は新しい殻を覆いかぶせている可能性もある。

他の人の価値観や、知識に染まっていくと、殻はどんどん膨らんでいくかもしれない。

外に飛び出そうとせずに、内側に突き進んでいくのも

悪くない気がする。

思いつき 雪山登山をおえて

今までに登山をする機会はあったけど、冬の雪山には挑戦したことがなかった。

初めての雪山を登ってみて思ったことは、

非日常を味わうことができて、画像でしか見たことない景色が目の前に現れてきて、新鮮な気持ちを味わうことができた。

でも、目新しさはあったものの日常との差別化をすることはできなかった。

なにをするにしても もっと、新しいことしたぜ、イェイ!

みたいな感情になって、ワクワクが止まらなくなって強烈にまた行きたいってなるのかなって思っていた。

どうも違ったみたい。

体験としては、九州に住んでいるので雪が積もっていることも、長野県に行くことも、雪山の装備を揃えることも全て新鮮な体験だった。

景色も間違いなく綺麗で、美しかった。

だけど、日々過ごしている日常と優劣はつかないんだなと。

何かをすること、他の人がしてないことをすることがいいことだと思った時期もあった。他の人より少しでも多くの体験や経験をしていることがすごいんだと思っていた時期もあった。

そう考えると、どうしても何もない日常がくすんでしまった。何もしてないことへの焦りや、SNSをひらけば何かをしている人たちの情報なんていくらでも手に入るから。

今は、たくさん発信できる環境にあるから輝いている人はより輝いて見えるのかもしれない。

そんなことを考えていたら、日常が輝いていることっていいことなのかなー。

刺激的な日常に憧れもするけど、なにもなくても何もない中に幸せを見つけることができて、そんな考えができれば、

刺激的な体験をした時に、同じ体験をする中でもより鮮明に、強烈にいろんなことを感じ取れるようになるんじゃないかな。

意図的に、非日常を作り出すよりも、

日常にほんの少しの彩りを与えるために別の何かをするってイメージがしっくりくる。

社会人として生活している中では、どうしても非日常を追いかけることに必死だったけど、やめて半年が経って改めて考えてみると、何もない日常もとても素晴らしいことなんだなって気づくことができた。

何もない日常に、ほんの少しづつ何かをたしていければ、日常ももっともっと輝きを増してくる。

新しい体験をしたという事実から、何を抽出できるか。

それは、どうも日々の生活にかかっているみたい。

めぐりあわせ

必要な時に、必要な人と出会うようになっている。

それが本当だったら、今日の出会いにもたくさんの意味があるんだろう。

ひさびさに、人と「話をできた」なって実感した。

生きている上で、一日中誰とも話さないことはほぼない。

何かしら誰かしらと会話をしながら生きているけど、

話したなーって実感することはほとんど無い。

世間話だったり、身近な話をしたりそんなことはあるけど、

お互いがお互いのことを考えながら、話すことってほとんど無い。

どこか上の空だったり、話半分に聞いてみたり、そもそもきいてなかったり。

何かしら相手をコントロールしたり、支配下に置くような話し方をされたり、

コントロールをされているように感じることが個人的には一番嫌い。

それが、今日は全くなかった。

相手は自分のことを考えてくれて、自分も相手のことを考えていて

お互いが良い意味で干渉しすぎることなく、相手に判断は委ねつつも、

必要な情報や感情を伝えてくれる。

自分は人と関わることが嫌いなのかなーって思う時期もあったけど全くそんなことはなかった。

人と関わることが大好きだった。

それを思い出すきっかけになる話をすることができた。

今までの自分だったら今日の出来事にも意味を見出せなかったかもしれない。

ただの日常として過ぎ去ってしまったかもしれない。

アンテナをどこに張るか、自分自身が何を求めているのか。

どれだけ時間がかかっても自分自身が何を考えていて求めていて、本音と向き合うことができるか。

たくさんの他人や社会からの価値観を知りつつも、自分自身の中で価値観を構築することができるか。

大きな価値観に拠ることは大切なことだけど、それでずっとモヤモヤを感じて取れなかったのであれば、新しい価値観を作り出すしかない。

たくさんの価値観に触れれば触れるほど、何がなんだか分からなくなったり、正解も不正解もあるようなないようなぐちゃぐちゃになってしまう時期もあるけど、

そこでやめないでもう少し苦しんでみて、見つかったものにはかけがえのない価値がある。

新しい価値観なんてすぐに見つかると思っていたけど、時間はかかるし、時間がかかってもいいってことを知っていれば、焦ることなく時にはあえて時間をかけてみるほうが

近道だったりするのかもしれない。

少しづつ

ほんの少しづつ、見えてきているのかもしれない

一緒にいるということ

一緒になって幸せな時間を過ごしていても、すれ違ってしまったら

その人を失ってしまう。のかな。

一緒になって適度な距離感が合わなくなったら完全に離れてしまうものなのかな。

もう一度お互いの心地いい距離感に戻ることはできないのかな。

そう考えてしまうと、付き合う段階で、一緒にいることを選ぶ段階で

その人を失う可能性まで考えて一緒になる必要があるのかな。

そんなことなんて考えなくていいのかな。

失うくらいなら、一緒になるって選択肢はなくなるのかな?

最後の最後には嫌いで終わってしまうなんて、なんとも複雑な。

そんなはずではないよな。

好きって気持ちはずっとあったもん。

人間としては好きなのに、こんな終わり方でいいのかな。

全部はなす。

話してしまおう。

もう、隠すことは何もない。

全部崩れ去ってしまう。それは自分が招いたこと。

全ての出来事が自分の責任。

どう転んでも、自分にできることはやる。

誰かを失うこと

どうして、大切な人を傷つけてしまうんだろう。

自分の都合で相手を振り回して、一時的な感情で動いてしまって、

情緒が全く安定しない。

人生で初めて感情がたかまって家の壁を殴ってしまった。。。全てが崩れ去ってく。

誰も傷つけたくないし、ただ安心をしたい。

目の前に安心があったにもかかわらず、自分の手でそれを捨ててしまった。

目の前にあるのに気づくことができなかった。

失ってからわかる?失わないとわからないのかな。

それは、とっくの昔に学んできたはずなのにまた繰り返してしまった。

信じてもらえていなかったことはかなりショックで、今までを否定されたような気持ちになって

自分も信じたからこそ、信じてもらいたいからこその行動が真逆の展開になってしまって。

そんなはずじゃなかったのに、そこからうまくいかなくなって大きな溝ができてしまって。

感情が、気持ちがぐちゃぐちゃになっていく気がして、

もう、そこには安心はないと思ってしまった。そんなことはないのに。

あれほど気持ちが高まって一緒になることを選んだにもかかわらず、自分自身でそれを壊してしまった。それほど、自分自身が期待を高めてしまったこともあるし、

新しい自分になるために?自分を取り戻すために必死だった部分もある。

自分のことで精一杯になってしまって、勝手に限界がきてそのまま突っ走って

ぐちゃぐちゃにしてしまう。

なにをやっているんだろう。

あれほどどんなことがあっても大切に育ててきた出会いなのに。

こんなに気持ちの整理がつかないのは初めてで、今まで信じて疑わなかったことが崩れていくことがこれほど恐ろしいことだとは思わなかった。

自分が思い描いているものといろんなことがかけ離れていってしまう。

今の自分にはこの時間でさえ必要なんだって考えると、この出来事はとても大切な何かを教えて来れている。それにしては、ダメージが大きいけど。

一つ一つの選択がこの結果を生んでいるのであって、瞬間瞬間の判断を基準なしにやっていて、その時の感情や気分だけでやっているからおかしなことになっていることはわかっているのに、やめられない・・・

その瞬間の判断は楽な方に傾いてしまっている。だから、あとあとになってもっと大きな気づきになるように大量のエネルギーを消費するようなことが起こっている。

小さな積み重ねが大きな火種となって、起こっていること。

目の前のことに集中しなきゃと思えば思うほど、今の時間から離れて行ってしまっているんだと思う。

自分の気持ちが届かない悔しさや、寂しさ、悲しさを自分の中で処理しきれずに違う感情が生まれている。

本来の自分を取り戻そうとしているのに、必要な時間なんだろう。

この苦しさから、逃げないで向き合っていく。

抑えきれずに、壁を殴ってしまった右手がすごく痛い。もう、こんな感情になりたくない。

大切な人を誰も悲しませたくない。自分のことで嫌な顔をされるのが嫌なのは小さい頃からかな。

そこから、どんどん行動できなくなってしまって、多くの人のいい顔をしてほしいがために、自分の心とチグハグなことをしてしまって。

そんなことしたいはずじゃなかったことをしてしまったりする。

その度に、自分の心に嘘をついたり自分を守るために、嫌な顔を見て苦しむ自分を守るために嘘を重ねてしまう。

こんな自分が嫌だ。自分を大切に、大事にしようとしているのにまったく反対のことをしてしまっている。

方向性がずれているから、いろんな部分で調子が悪いのがそれを教えてくれているのに、自分自身で気づいていない。

感度がどんどん下がってしまっている。

今の自分に必要なことはなにか。

なぜ一緒にいたいのか

どんな気持ちだったっけなー。

一緒にいたい?支えたい?

お互いを高めるため?

すきだから?

落ち着くから?

なぜ?

今までは、すきって気持ちだけでそばにいたいと思えて、人生がより良くなっている気がしていたけど、違ったのかな?

今そばにいる人とは、どうして一緒にいますか?

友達、彼氏、彼女、配偶者などなど

改めて考え直した時に、説明できるかなー。

そもそも説明する必要なんてないのかも

自分の納得がいくように、答えをなにかしら決めたいのかもしれない、

焦ってるのかな?

どうしたんだろう。

思い通りになんでもなるわけではない

だけど、思うことを忘れてはいけない。

自分がどうありたいか、どういう状況になっていたいかを

想像すること。

いい悪いは別にして、途中で起こる些細な問題はきにすることなく、

大きな視点で見たときにどんなふうにいたいのかを常に想像していること。

なにかあったら、そこを頼りに戻って来ればいい。