思いつき

だれかよりも

誰かよりも頑張ることは努力とはいわない。

昨日の自分よりもよくなるようにすること。

それをどんな時でも続けていくこと。

人が10がんばってても同じことを10しても同じ結果は出ない。

人が右に10がんばっているときに、上に1でもいくことができればそれも努力になる。

人の指標で努力すると自分自身でもよくわからない方向にいってしまう。

誰かの成功法則も勉強にはなるけど、自分自身に役立てるためには同じことをするよりも、自分なりに噛み砕いてオリジナルに変換していくこと。

たまたま、早起きした

普段は、8時間以上寝ていないとどこか調子が悪いように感じたり、眠気が取れなかったりするけど、今日の目覚めはすっきり。

考えられる理由は、

1、食事にスムージーをプラスした

2、23時には就寝した

3、適度な運動をした

4、リラックスできる空間を作った。

1、食事にスムージーをプラス

今までは、ほっと○っとでの食事が圧倒的に多かった。。

最近は自炊するようになって、意識的に野菜を取るようにしてはいたけど、量としては少なかった。そこで、スムージーを作ってみたらこれがまたいい感じ。バナナ、小松菜、りんご、豆乳を投入して混ぜるだけ。あら簡単。

正直普段の食生活で、野菜の栄養素を少しでも残すように調理したりするのって、気軽にできることではない。以前はサプリメントも多用していて、プロテインも、HMBも、BCAA、デキストリン、パンプ系、クレアチン、亜鉛などなど、一通りは試してきた。一時的には体力も筋力もアップするけど、お腹を壊したり、血圧の乱高下があるからだるさが残ったりしていた。各成分の効果で、疲れが取れているように感じるけど身体自体は疲れが蓄積されているので、どこかのタイミングで限界が来ていた。

サプリメント自体は、否定しない。間違いなく、飲んでいる期間は効果がある。明らかに筋肉や体力のつくスピードが違う。体質の問題もあるけど、自分には合わなかった。その代わり、スムージーを作り始めてからは体調が安定し、お腹の不調も明らかに減った。

人によっては、朝食を食べなかったり、昼は眠たくなるからほんの少ししか食べない方もいる。自分もそうだったが、お腹が空いて気になることも増えていた。

そこで、朝食にスムージー、もしくは昼食にスムージーをプラスすると、適度な満腹感もあり、集中力が続いた。

2、23時には就寝

例えば、同じ8時間睡眠でも0時から8時まで寝るのか

22時から6時まで寝るのか。この就寝時間には大きな違いがある。

人それぞれ、体質が違うので同じようには言えないが、

8時間睡眠とりましょうとか、6時間を切ると身体に良くないとされているが、自分にあった睡眠のタイミングを見つけることが一番だと気付いた。やたらと8時間寝ればいいと考えて、0時ー8時の生活を続けているけどあまり変化がない場合は、23時ー7時、22時ー6時など変えてみると、同じ8時間でも睡眠の質や、翌日の疲れの取れ具合が大きく違ってくるので、ぜひ試してみてください。

3、適度な運動

今までは、無理してなんぼではないけど、身体をとことん追い込むことが運動だと勘違いしていた。追い込んでいないと、運動した気になれなくてそのせいで翌日の疲労感がきつすぎて運動が続かないみたいなことが多かった。ようやく、1日1日極端に追い込むのではなく、3年、5年かけて少しづつ改善していくように心がけて、運動する日程が空いてもまた始めればそれでいいし、やりたくない時は無理にやらなくてもいい。その代わり、完全にやめてしまうのではなく、気付いたときにまた少しやってみる。それを繰り返していれば、完全に挫折してやめてしまう5年間よりも、気付いた時だけでもちょっとずつやってきた5年間であれば大きな違いが出てくる。

最近の筋トレブームで、大きな筋肉を育てることがいいことで、そうじゃなかったら筋トレする理由がないと思っていたが、それも自分の勘違いだと気付いた。少しでも大きくするためならサプリメントにお金を惜しまなかったけど、そうじゃない。

大きな筋肉がいいと思っていたのは、他者からの視線が気になっていたからそれだけだった。少しでもよくみられたい、そんな気持ちがどこかにあった。そんなこんなで、振り返って考えてみたらトレーニングして美しくなりたいんだったなーと。別にトレーニングしなくても生きていけるし、何をしてもしなくても生きていけるけど、自分で整えて美しいと思える身体で生活するのと、そうじゃないのとでは、自分の行動も思考にも影響してくる。どうせ生きるなら美しい身体と心で生きた方が幸せな気持ちがもっと増える。

4、リラックスする空間

落ち着く空間って、こんなに疲労感や気持ちに大きな変化をもたらすって考えていなかった。なんとなく過ごしているだけでは、リラックスできてなくて疲れが溜まったままだったり、気持ちのリセットができなかったりする。そうすると、翌日のパフォーマンスにも影響するし、気分が乗らないことが原因で、自分自身の夢を追いかける時の気力や、体力を失ってしまう。

元気が有り余っている人は気にすることはないかもしれないけど、年齢に関係なく、何かを追いかけたりする時は元気な時こそいかに丁寧に無理をしないように気をつけて行動し続けられるか。一時的にどわっと頑張って潰れても誰も助けてくれないから。周りが早くても、遅くても、自分のペースで淡々と続けられるか。

どうやったら、自分が一番リラックスできるかなんてあまり考える機会はないけど、潰れてしまう前に見つけておくといろんな場面で自分で自分を救うことができると思う。むしろ、潰れかけで見つけることはほぼできないから。

がんばるためには

何かをするときや、人生をかけて何かをしようと考えたときに

今までは、自分のやりたいことを成し遂げるためだけだとか、自分の人生自分のやりたいようにやらなきゃダメだ!自分の人生を生きろって言葉の解釈は、自分の欲望を満たすことだとずっと思っていた。

けど、どうも違うような気がしてきた。

自分のためだけに頑張るのは限界があった。得するのも自分だし、損するのも自分だし。自分のためだけだったら、そこまでして幸福を求めたいと自分は思えなかった。

自分が心から大切に想う人がいて、それが家族なのか、友達なのか、愛する人なのか。それは人それぞれ違うと思うけどそのためにだったら、自分のためと考える以上にいろんな壁を乗り越えていける。

一人では決してできないところまで連れていってくれるし、苦しいときに踏ん張る力もうんと増える。

そのためには、自分の周りにいる人には細心の注意を払って、心を許せる人だけに絞る必要がある。要らぬ気遣いをし続けるような関係をほんの少しの勇気を持って、手放していく。手放して、本当に大切な人たちにもっと愛情を持って接していく。

自分のためには頑張るのは限界がある。

誰かのためなら一緒に乗り越えていけるので限界はない。

とっさの出来事

集団にいるなかで、自分にとって必要な行動をできるだろうか。

してもしなくても、なんの問題もない出来事に当事者意識を持って行動できるだろうか。

いやでも考えさせられるようなことが、最近増えている気がする。

お前はそんなんでいいのか?人の評価を気にしないようにしていて、一番気にしているのは自分じゃないか?

知識として、気にしないことは知っていてもそのように行動できているかどうかは

別問題である。

人がしないから、自分もしない。

人がするから、自分もする。

そんなふうに人生を決めてしまっていないか?

人がしなくても、自分はする。

人がしていても、自分はしない。

その中に本来の自分があるんじゃないかな。

いろんなことに妥協して、これくらいでいいやって。

知識を付ければつけるほど、いいこともあるけど動けなくなっている部分もある。

活かす前提、必要に迫られての知識ではないから頭でっかちになって行動に抑制がはしる。

読書が悪いのではなく、本から受け取るべき内容を自分自身で選択を間違えたことが原因。

そんな気づきを与えてくれた友人には心から感謝している。

決めつけることのオソロシサ

この先どうなるかわからないし、どんな選択をしたとしてもその先にどんなことが待っているかは、想像はできるとしても、それが事実になるとは限らない。

想像は想像でしかなくて、その想像が間違うことも、正しいこともどちらもある。

自分の知っているなかでしか、判断はできなくて知っていることが少なければ、それだけ選択肢への想像も少なくなる。

むしろ、知らないことの方が圧倒的に多いのに自分の知っていることだけを基準にして判断してやめてしまうことは自分の可能性を小さくしてしまう。

何かを判断する時に、考えた結果行動することを選ぶのは問題ないが、行動を止める選択をするときは、もう一度、考えた方がいい。

行動しようかどうか迷って、やめてしまうことは、一見何も自分自身が変化しないので、安心できる状態にはなるかもしれないが、行動することによるメリットの方が圧倒的に大きい。と最近ようやく感じれるようになってきた。

やってみて、自分自身を変化させてみてその後にどう感じるかをその時にまた考えれば、堂々巡りすることなく、新しい価値観で選択をすることができる。

おなじ価値観でずっと考えたり、迷ったりしても、おなじ答えや結果しか生まれない。

これは、こうって決めてしまえば生きるのは少し楽になるかもしれないけど、常に変化させていかないとどんどん苦しくなってしまうなーって。最近心から感じる。

いま、自分がどんな決めつけをしてしまっているのかを知るだけでも、大きな前進になる。

人の多いところで過ごしてみる

人の多いところが嫌いです。

週末のショッピングセンターや、観光スポット、などなどたくさんの人が行き交う中で過ごすのはとてもストレスになる。。。

周りの人が気になるからなのか、パーソナルスペースがなくなるからか、過ごすだけでとても疲れてしまう。

ずっと避けてきたけど、ふとそんな休日にショッピングセンターに行きたくなった。普段は平日もお休みなので、人の少ない時に自由に行けるけど、人間観察をするには少し人が少ない。

自分にとって不快な空間に足を踏み入れるのはとても嫌で、余計に疲れるし、いいことないと思っていたけど、それは目的がなかったからやい雲に疲れていたんだなーって実感。

多くの人の心を動かしたり、どんな製品が人気があるのか、買い物の行動パターンはどうなのか。本を読むだけでは味わえないような体験をすることができる。知っているものと、実際の社会を俯瞰的に観察してみて、違うこともたくさんあれば、そんな風になるのかって新しいことを知ることができる。

他にも、自分が不快だからという理由で避けているものがたくさんあるけど、その中にも学ぶことや、感じること、驚きは隠れている。

避けてしまえば、そのチャンスを自分から捨てることになってしまう。それは、いままで気づかなかったことで、自分にとって意味があると思うことの中だけから、新しい発見をできると勘違いしていたけど、いいも悪いも、快も不快もどちらからもどんなことでも見出すことができれば、人生全てが発見になるし、楽しいことへの選択肢が倍に増えることになる。

時には、自ら不快に飛び込んでいくちょっとした勇気と、気持ちの転換が必要みたい。

たくさんの人がいるなー。

身体がおかしい?

げっそりとしている。。。

ご飯は食べているのに、身体の調子がどこかおかしい。

落ち着いて生活できているはずなのに、何かがまだあるんだろう。

一つ一つ見つめていこう