不安な時をどう対処するか

不安な時は、「どうすれば、自分をもっと愛することができるか」を考える。

不安な時は、どうしても自分が嫌だとか、嫌な自分を変えたいとか、

今の自分を否定してしまう。

それでは、本当の自分からどんどん遠ざかってしまい、何も解決しないまま

苦しみだけが残っていく。

苦しい時、嫌な時に味方になってくれるのは自分だけ。

心配されることはあっても、自分の人生にその人は責任を取ってくれるわけではない。

いろんな言葉をかけられても最後は自分の味方になってあげること。

自分が自分を疑った時に全ての物事は崩れ去ってしまう。

いいことも悪いことも何があっても自分だけは自分を信じてあげる。

世界中を敵に回したとしても、自分だけは自分の味方。

そうやっていれば、必ず素敵な循環が向こうからやってくる。

素敵な循環を受け取れるだけの準備を毎日していくだけでいい。

自分を嫌いなままだと、素敵な循環に気づけないかもしれない。

毎日一瞬一瞬にチャンスがたくさん訪れているのに、過ぎ去っていくだけだともったいない。

自分がかけがえのない存在だと気づくだけで、全てのことが変わっていく。

別に、何でもかんでもポジティブにする必要はない。

全てをポジティブに変換すると自分の成長のチャンスをなくしちゃう。

ダメなものはダメだと受け入れることも必要。時には痛みが伴うけど、必要な痛みであれば大丈夫。

何かを我慢しながらの痛みは、成長どころか、自分を殺していくだけだからいけない。

嫌な環境に入った瞬間は嫌だと感じることができるけど、長くいればいるほど、その感覚は鈍ってしまう。どんどん抜け出せなくなってしまう。

我慢は、何も生み出さない。時間の無駄。そんな環境はさっさと飛び出して、世界を見れば、

自分の居場所なんて無限に見つかる。一箇所にとどまる必要なんて、一切ない。

心の赴くがままに、行動して大丈夫。

ここまで、思えるようになったのは、どんなことがあってもそばで支えてくれる存在があるから。

なんでも受け入れてくれる存在が、自分が自分のままでいいことを安心していられることができる。

これから、成長するにあたって、たくさん色々あるだろうけど、成長痛なしでは成長もできない。

のびのび人生を送るだけ。

いつも、ありがとう。

素直になる

いつから、自分の気持ちを表現することを怖がるようになったんだろう。

気を使うことが、普通になってしまっていて自分に正直になるといいながらも、

できていないことが明確になってしまった。

今までと全く違うことをするので、多少の痛みは受け入れる。

自分が何を感じて、何を思うか。自由なんだから。

嫌な気持ちになるのも、不安になるのも、自分自身が作り出しているから。

こんなことを望んだの?違うでしょ。

自分の望みをもう一回振り返って、本当はどうしたいのか。

嫌な気持ちになれば、それがそのまま反映される。

安心して、好きって気持ちを大切にしてあげる。

誰かに守ってもらうんじゃなくて、自分自身で自分を守ってあげる。

さよならロードスター

本日無事にロードスターを下取りに出すことができた。

約、3年間いろんなところに出かけることができた。

スポーツカーに乗るなら、若い頃か、年を取ってからか。

若い時に経験できて本当によかったと思う。運転していて楽しい感覚を味わうことができたのは

嬉しかった。

価値観もどんどん変わっていって、乗り心地だったり、快適性や、心地よさをこれからは

大切にしていきたい。同じ移動だとしても、不快な状況で移動するよりも

座っていて、気持ち良かったり、心地よい音楽に包み込まれたり。

まずは、何が快適かを知るところから。

その中でも、音楽は大きなウエイトを占めると思う。

音楽が届けてくれる気持ちよさは格別。大きな音で聴いても耳に優しい音楽。

流行りの音楽だったり、うるさいだけの音楽は自分には合わない。

1秒たりとも、不快な時間は過ごさない。

全部が素敵な時間にする。

唐揚げはおいしい

いよいよ、明日でロードスターともお別れ。

大好きな先輩のお父さんに買っていただけるので、嬉しい限り。

車を売るのに必要な書類関係を市役所に取りに行ったけど、

どうしても待ち時間が発生するから、Kindleアプリを携帯に入れておいてよかった。

今までは、どうしても空き時間を調べ物とかにしか使っていなかったけど、

読書できる時間に当てられるから、時間を消費するだけがなくなった。

何をするにしても、自分で決めて、自分の時間を何に使うか考えて、

少しづつ積み重ねていく。

好きなことにだけ時間を使うことによって、ストレスが全くない。

嫌なものは嫌と言って、好きなものは好き。

みんなが好きだからと言って、自分が好きかどうかとは全く関係ない。

人気店でも、いまいちなことは多々ある。なぜ、そのお店が人気なのか不思議になるほど。

失敗も含めて、いろんなお店や環境に飛び込んでみないと、心から好きなものに出会えることもない。

違うと思えることも大切だと思えるようになったのはよかった。

今までは、嫌な気持ちになって終わりだったけど、今は違う。

ただ、自分とは合わなかっただけ。それ以上でも、それ以下でもない。

この気持ちがわかったことで、余計なことで心が乱されることがなくなり、

いつも平穏で快適な毎日を送ることができる。

心の波を立てずに、淡々と自分のことだけを考えていく。

自分が追い求める人はたくさんはいない。今の状況から飛び出していく準備を進めていくだけ。

どんなことでも、自分自身が望んだ結果しかやってこない。

今、いいことが続いているのがその証拠。

望まないことはしない。

好きなことだけしていいことを許されているんだから。

自分でそれを許すことができたんだから。

一つ一つの出来事を大切に育てていく。

バランスを大切に。

引越し完了

ようやく、引越しが完了した。

前の家の準備から、不用品の整理、契約関係の変更、新しい環境での手続きなどなど

一人の力ではできなかったなーって改めて思う。

新生活をするにあたって、たくさん乗り越えないといけないこともあったけど、

ひとつひとつ乗り越えてこられてのは本当によかった。

今日は失業保険の手続きや、ガスの開栓をしてほとんど新しい生活の基盤を整えることができた。

新しい照明、家具を揃えていって快適生活のはじまりはじまり。

好きな時間に起きて、好きなご飯を食べて、好きな本を読んで、好きな映画を見て、

いつでもゴロゴロできて、心も身体も軽やかで、好きな時に好きなことをできる

好きな人に囲まれて、大切な人と過ごす環境が整った。

この心地よさがずっと続くからあとは楽しむだけ。

この環境にできたのも大切な人のおかげ。

自分一人では決してできなかったところに連れ出してもらっているんだから

とびっきりでかいことで恩返しする。

いつもおとづれているチャンスをものにして、一つづつ積み重ねていく。

誰になんと言われようとも、自分だけの成功を積み重ねていく。

他の人と道が違うんだから焦る必要も、比べる必要も、心配する必要も何もない。

誰にも同じ人生は味わうことはできないんだから。

積み重ねるのに時間がかかればかかるほどそのあとの跳ね返りもとてつもなく大きなものになる

いつ、どんなタイミングで全てのことが繋がっていくかわからないから、

準備だけは怠らないこと。嫌なことをするのではなく、好きなことだけ

心地よさを一番大切にしてあとはどっしりと待ち構える。

仕事辞めなくてもよかったし、辞めてすぐに就職してもよかった。

続ける選択も、それ以外の選択肢もたくさんあった。

だけど、一度止まって、自分と向き合って、自分でも次に何が起こるかわからない状況に

なって、いやでも将来どうしていくか考える環境に身を置いて、本当によかったと思う。

この状況じゃないとわからないこと、感じること、考えたことが全て今後の自分への大きな財産になるから。

今すぐには、こうやってよかったことが正解かどうか誰にもわからない。

ただ、大きな幸せを掴む第一歩を踏み出したことだけが決まっている。

目先の小さな利益ではなく、人生をかけて大きなことを成し遂げた。

継続的な慈善活動を行っていくためにも、時間に縛られず、好きな時に好きなだけ

大切な人を助けられるような、世界規模で人の支えになる存在なので、

大切なことは何か。一から考え直して自分だけの哲学を導き出す。

そのためには、今を一生懸命生きていく。

明日死んでも後悔はない。

そんな人生に。

「ハクナマタタ」

引越し前最終日

ようやく、引越しもあと少し。

準備始めた頃は、終わるのか心配だったけどなんとか順調に進めることができた。

もっと、寂しい気持ちとかになるのかなーって思ってたけど、

思いの外ならないみたい。

それ以上に、新しい生活が楽しみで仕方ない。

9月前半は自由気ままに過ごすことができたから、後半は少し変えていけそう。

今までは、直前まで全く準備しなくて後になってバタバタとやってしまっていたけど、

今は、適度に好きなことする時間を確保しつつ、準備も少しずつできるようになったので

嬉しく思う。

明日はベットを移動して、細かいものを運んで完全に終了。

心も身体も休まったので、急がず、焦らずまた進み始めようかな。

引越し

業者なしでの引越しもあと少しで完了

久々の引越しで勝手がわからないままだったけど、

たくさんの人の協力のおかげで、引越しも順調に進んでいっている。

車を貸していただいたり、夜勤明けに手伝いに来てくれたり、

洗濯機を一人で運んでくれたり。

一人ではできないことでも、人が集まればよりたくさんのことができる。

時間に関係なく、快く手伝ってくれる仲間がいることには本当に感謝しかない。

あとは、今の家の掃除をして

新しい家の荷ほどきをして、新生活の始まり。

新天地で、心機一転、新しい自分に出会う。

一時的に収入は減ってしまうけど、このあと大きく増やしていくために、

大きな循環にするためには、大切な決断をできたから、

あとは、突き進むだけ。

この、挑戦を支えてくれる人がいるので、自分は恵まれている。

新しい環境になるにあたって、たくさんの壁が立ちはだかってきたけど、

ひとつひとつ、乗り越えてきてちゃんと達成できている。

環境が変わるだけで、人はあっという間に変わることができる。

変えようとしなくてもいい。

変えようとすると、形がいびつになってしまう。

勝手に変化することを受け入れていくだけでいい。

引越ししながら、ゴロゴロしながら、ゆったりとした時間を感じながら

毎日過ごせることがどれだけ幸せなことなのか。

立ち止まってみて、改めて実感することができた。

自分だけの幸せをみつけるためには、ゆっくり自分の周りを見渡す時間が必要。

じっくり自分だけの時間を感じることが、新しい世界への第一歩になっていく。

不安はまったく感じなくて、むしろワクワクが膨らんでいく。

自分でもこの先どうなるかわからない、高揚感は何事にも変えがたい。

何をするのか、何になるのか、どうあるのか。

しっかり準備して、あとは待つだけ。

ブログを始めた5つのきっかけ

ふと、思い立ってブログを始めて見たけど

振り返ったことがなかったので、振り返ってみようと思う。

働く意味がわからなくなった

なぜ、働くのか。

自分の時間を使って、自分が生きていくための給料を稼ぐために働くのか

与えられた使命を全うするために働くのか

誰のために自分の時間を使って仕事をしているのかわからなくなった。

よく、モラトリアム※と呼ばれていた。

E.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我同一性を確立してゆく。小此木啓吾によれば,現代人には,この猶予期間を引延ばし,大人になろうとしない「モラトリアム人間」 moratorium personalityの傾向が強い。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0-142803

今の自分がこのままでいいのか。このままでは嫌だと強く思った。

自分の思いを思ったままに吐き出したかった

いろんなしがらみがあると、発言したくなくなってしまう。

自由気ままに、思ったことを思ったまま書き出して

振り返った時の自分の歴史として残るのは嬉しいと思った。

あの時の自分の思いが、いつか誰かの役にたつかもしれない。

誰かの心を救うことができるかもしれない。

飾った言葉ではなく、等身大の自分で。

全てから自由になりたかった

時間、お金、人間関係から自由になりたかった。

自分の時間を誰の役に立っているかわからないことに費やすのが、嫌になった。

サラリーマンとして、企業に勤め上げて、新卒からだいたいみんな20万からスタートして、

1,000万くらい稼げるようになったとして、まだまだ自由とは呼べないと思う。

嫌な人間関係だけど、仕事上必要だから付き合うなんて、間違っている。

大切な時間は、大切な人にだけ使う。

一生に一度しかない人生を嫌な人のために我慢して使うことはできない。

モラトリアムっていい言葉

いままで、モラトリアムをマイナスに捉えてきた。

社会にうまく適合できてない、できそこないだと。

でも、全くそんなことはなかった。

次の仕事を決めずに、ポンと仕事を辞めることは他の人には難しいみたい。

貯金額がないのに、仕事をやめることは他の人には難しいみたい。

怖くてできないと。

モラトリアムになったおかげで、他の人にはできないことに一歩近づいた。

今のままでいいのか、漠然とした不安。

これが本当の自分なのかっていう問いかけ。

モラトリアムが全くなく、順風満帆の人もいるかもしれない。

けど、さらにいい状況や、環境に飛び込むエネルギーは湧き出てこない

今のまま、頑張ればそれはそれで、一つの幸せを見つけるかもしれない。

でも、そうじゃないと思うからこそ、新しい世界が待っていて、

見たことないような世界が待っている。

モラトリアムのおかげで、今の自分がある。

もっと、モラトリアムに溢れる世界になっていくこれからは、

ワクワクしか残っていない。

もちろん、いろんな体験に出会うので、その度に刺激に溢れる。

人生は自分のもの

誰になんと言われようとも、人生は自分のもの。

誰かに任せれば、簡単に過ぎ去っていくような人生になる。

自分で舵を握れば、波乱万丈、ワクワクの世界が開き始める。

自分の心が何を求めているか。

自分の心の声に耳を澄ませて。

全然書き足りないから、定期的に振り返ってみる。

運命は誰のもの?

「半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は運命が私たちに任せているのも真実である」

著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018年5月2日
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:株式会社 文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.1606

いろんな巡り合わせは、運命の女神様が運んできてくれるけど、

ここぞというタイミングでは、運命に任せずに、自らの意思で大胆に決断することで、

道が拓けていく。

冷静であるがゆえに、タイミングを失ってしまったり決断できなことは多々ある。

たくさんチャンスが巡ってきては、目の前を素通りしていく。

自分にとってそれが必要なのか、肝心なことなのか判断できないから。

人からのアドバイスも、助言もチャンスも、何もかもが、

普段から自分がどれだけ準備しているかどうかにかかってくる。

必要じゃない時に、助言をもらっても自分にとってはなんとも思わないまま

聞き流してしまったり、ないことにしてしまったり。

自分にとって都合が悪いことだと、聞くこと自体をやめてしまったり。

沈んでいる時や、悲しいときは、話をきいてほしいだけで、話を聞きたいと思ってないこともある。

そうならないように?その状況がいやであれば、変われるのは自分もそうだけど、

環境も自分の力で変えることができる。

環境は、多くの運命を変えてくれる。逃げることはダメで、我慢を続けることが美徳とされてきた

学校教育には、背く形になるけど、それが人間らしい選択なんだと思う。

我慢して、いやなことを続けて、従うだけでOKな生き方はたくさんのことを犠牲にすればすることができる。

今まで、学校という環境の中でしか生きてきてない中で、急に変えることがどれだけ難しいことか。

違う環境を知らない。誰も教えてくれない。それしかないと思ってしまうのは当然だと思う。

学校の延長で、社会も同じような仕組みだと思う。

その環境にしか身を置いていないと、どんどん身体が心がその環境に慣れてしまう。

同じような考えの仲間に囲まれ、同じような価値観の集団に囲まれ、

徐々にその環境での居心地が良くなってしまい、時間だけが過ぎていく。

そのままでも、何も問題ないし、それが幸せって考え方もある。

でも、いやなことを我慢しても、身につくものは何もない。

好きなことを楽しさ全力でやっている人からしたら、

我慢する能力なんて、無駄でしかない。

今の環境は自分自身が作り出したものって言われた時に、そんなの違うって思ってる時点で、その環境に浸ってしまっている。

否定の思いが強ければ強いほど、心はもう荒んでいる。

違うなら、自分を変えることも大切だけど、環境を変えてしまえばいい。

環境が変われば、いやでも自分は変わっていく。

自分は変えようとしなくても勝手に変わっていく。

いかに、デフォルトの自分でいられる環境を見つけ出せるかどうか。

苦しいときは、冷静な判断なんてできない。そのせいで思考にいろんな制約がかかるから。

長期間、その場から離れて見て自分を自分である時間を長く作る。

そうすれば、運命の女神様が新しい運をはこんできてくれる。

運命が運ばれてから動くのではなく、いつもと違う行動をした後に

新しい運が運ばれてくる。そのときには、自分が変わっているので今までどれだけ難しかったことでも、いとも簡単に成し遂げられてしまう。

環境を大きく変えた後に、冷静になって考えるくらいでいいと思う。

他の人からすれば、大胆な行動に見えるかもしれないけれども、

強制的に、冷静になる時間を作って、自分のために生きる。

たった一人でも、自分のことをわかってくれる人がいるなら、

それだけで幸せなんだから。

自由に生きていける環境が整っている。

そのことを知って、運命は私たちに任されているなら、

あとは、好きなことを選ぶだけ。

好きなことがなくてもいい。

あったら、ラッキー。

ないなら、新しい環境を常に探しながら、

新しい運が運ばれてくることを気長に待つだけ。

やりたいことで生きていく

自分が向いていると心から感じられる作業に全力で打ちこみ、充実した手ごたえを感じながら毎日を生きている人を、世界が放っておくことはないでしょう。

著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018/04/27
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.169

自分に向いていると思えることに出会えることは本当に幸せなことだと思う。

多くの人が向いているのかわからないことに従事して、生きていることが多い気がする。

生きていくためには、生活をするためには、仕方がないから。

その世界でどう頑張っても、好きでやっている人には勝ち目がない。

それに、向いてないことにどれだけ時間を費やしても、

成長どころか、心が荒んでしまう。

好きなことをやっている人は、毎日が充実していて、ワクワクしながら生きている。

今までの自分は、心からワクワクなんてできないだろうと思っていたけど、

仕事を辞めて、ストレスから解放されて、毎日好きなことをする日々を通して、

心はとても豊かになった。

今までどう頑張ってもできなかったこともできるようになり、

身体は毎日軽く、圧倒的に自己肯定感が高まっていくのが目に見えてわかる。

自分を折り曲げて歪ませて世の中に適応することは

誰も得しない。

心も、身体も長くは持たない。

楽しいって感覚をどこまで追求できるかが、より多くの人に貢献できる唯一の方法だと思う。

楽しんで楽しんで、楽しみ尽くした先に、新しい世界が待っている。

我慢もない、無駄な気遣いもない、嫌な環境もない、

自分の好きだけが周りにある状態。好きなことをしながらも

思いがけない形で誰かの役に立ったり、誰かを励ましたり、誰かを救ったり。

楽しいことの先にはもっとたくさんの素敵なエネルギーが待っている。

好きなことだけやって、誰かを救えるなんてこんなにすごいことはない。

覚悟を持って、楽しいだけを追求する。

どんな問題が起きても挫けずに進んでいく。

うまくいくとか、行かないとかの感覚を超えて、

勝手に世界が回り出す。

嫌なことや、嫌いなことを我慢して続ける時間はない。

人生はあっという間。人間いつ死ぬかわからないし、今の生き方で明日死んでもいいか。

明日死ぬかもしれないのに、最後にやったことは面白くもなんともないことでいいのか。

好きなことならなんでもいい。逃げてもいい。

好きをとことん追っかけてみて、元気になってから戻ってきてもいい。

なんでもOKな世界だから。

他の人がいうことを気にする暇はない。身近な人だけの意見にのまれる必要もない。

もっと大きな世界で、自分を見つめ直して見て。

心が何を欲しているのか。時間をかけて見つめてあげる。

心の声にそのまま従ってみる。

やりたいことをやってみる。

嫌なものから離れる。

少しづつ、心を元気にしてあげる。

わくわくするために生まれてきたんだから、全力でわくわくしまくっていきていく。

大きなチャンスを掴むために。