誰のために?

今、自分を大切にって言葉をよく聞くし、

自分のやりたいことを実現させよう!人に構っている暇はない!

とか、そんな印象の言葉を耳にすることが多い。

自分のやりたいことを実現させて、キラキラしている人が増えていっている気がする。

その言葉をみたときは、自分もそうしたい。人に振り回されるような人生はまっぴらだ!自分の人生を生きるんだわっしょい!

余計なやつに構っている暇なんてないぜ!!!!!と思っていた。

自分のなすべきことを考えて、そのために時間を集中させて、自分の何かをなしとげようと、いろんなことをしている吾輩、かっちょ良いくらいに思ってた。

自分を高めるためにと、何かに熱中しては、体調崩すくらいまで打ち込んで、つかれちゃったり、

本読んだり、勉強したり、運動したりして自分を高めようとしている自分は偉いぞ!!とか、平気で思ってた。

けど、なんか違うような気がしながらも、SNSや本を読むとそれが良さそうに見えてきて、今日の積み上げとか、何かのために、今日も自分は何かをやりましたよ。みたいな。

憧れた部分もあるし、自分もできるんじゃないかってもがいてみたりした。

疲れたら、突き進むばかりじゃなくて、時には止まって考えることも必要だよとか。そんな優しい言葉に救われたりしてみた。

ちょっと待とう。

自分にないもの、憧れるもの、本に書いてあること、人からの言葉、みたもの、聞いたもの。それ自体は、誰かが作ったことであって、同じように自分に当てはまるものではない。

追いかければ追いかけるほど、同じような人間や雰囲気になるだけで、

誰かの人生を辿っているようなものなんじゃないかな?

自分の人生を使って、誰かの人生を辿ることは果たして楽しいのだろうか。ヒントを得て、そこから、自分なりの何かを見つけるのであればいいかもしれないけど、誰かの成し遂げたこと、誰かがやろうとしていることを自分もやってもいいけど、それは、他の人にやってもらえばいいきがする。

本に書いてあることって、自分よりも凄い人がこんなことを書いているから、そのようにできない自分は情けないんだとか、こんなふうにがんばってみようとか、書いてある言葉に救われることもあるけど、自分の核になることは少ないかもしれない。

自分の人生の主役は自分だから、自分だけの幸せを追い求める方向性を間違えないようにしないと、自分を苦しめることだってある。

自分のために、海外旅行したり、旅したり、何かを学んだり、英語話せるようになったり。自分の希少価値を高めることによって、市場から求められるような人物になるのはとっても立派!

それを選ぶもよし、

誰かの幸せのために自分の時間を使うもよし。

そばにいるだけで、安心感を与えることができたり、

どんな時でも、笑顔で接することができるでもいいし、

気づかれないように誰かに優しくするでもいいし、

車で譲でもいいし、なんでもいい。

自分の時間が、誰かの幸せに少しでも携わったとき、心はポカポカになる。

自分の目標を成し遂げた時、心はぐつぐつと盛り上がる。

誰かの人生に彩りを与えるために、

勉強したり、本を読んだり、運動したり、何かを極めたり。

そんなふうに考えてみると、自分だけのために何かを頑張るよりも、

自分が頑張った先に、誰かの笑顔をみれる方がなんかほんの少しだけ、

気持ちがいいのかもしれない。

過去の自分を振り返ることはちょっぴり恥ずかしいけど、

今、こうやって振り替えられることが、財産なのかもしれない。

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