食事の時間を無くしてみると

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好きなことをする時間が多く取れるようになった

ご飯を作る時間も好きだったりするんだけど。

朝ごはん、昼ごはんを置き換えてみてゆとりができた。

通勤時間の40分の間に食事を取ることができて、

勤務中に食事を取ることができて、

通勤時間が少しながくても、食事の時間を考えると相殺することができる。

一つの時間の中に何を詰め込むことができるか

着地点を自分で決めない

そのうち、いい感じに着地するから

自分でゴールを決めすぎない

決めちゃうと、そこまでにしかいけない

決めないと、どこまでも行けてしまう。

目標があったほうが動ける人もいるだろうけど、

個人的にはないほうが自由に動けて好き

あれかもしれないし、これかもしれないし、

一つ一つ目の前のことに集中している状態

結果的に、こうなっていることはあっても

その途中をコントロールすることはできないから

いっぱい使う

花

使って感じて、伝えて

聞いてくれる人のために、自分の全部を使えることが何よりも財産

自分のためにもなって、誰かのためにもなっていい循環を生み出せる仕事

生きていることそのものが

時間の作り方

時間は多分平等じゃないんだと思う

ある人にとっては長く感じるし、ある人にとっては短く感じるし

寝る時間も、動ける時間も人それぞれ。

誰かがいいとしている、時間の使い方は自分には合わないかもしれない、合うかもしれない

合うなら取り入れて、合わないなら次。

次に進むスピードと、回数が意味するものはなんだろう。

昼休み

昼休みの1時間で何ができるだろう

寝ることも、アニメを見ることも、勉強することも、遊ぶことも

誰にも縛られない自由な時間

毎日当たり前のようにあるこの時間をどう過ごせるか

何かしなくちゃと焦ってた時期もあるけど、今はいい意味で力が抜けて

自分をリラックスさせることをできるようになった。

やりたい時に、グッと集中してやればよくて

そうじゃない時は、集中する時のためにリラックスすることを優先する。

短期間で、成果を上げるために自分をすり減らさない

受けた感情と、出す感情

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仮に、嫌なことを言われたとしてその後の感情は荒れてしまって、

それを誰かに、同じように渡してしまうとそれがまた誰かに渡っていってしまう。

そこを自分で止めて、むしろいい感情を誰かに渡せると、

直接じゃなくても、自分の行動一つがどこかの誰かの笑顔になる。

目の前には出てこないかもしれないけど、そうなっている。

誰かに道を譲ると、譲られた人も誰かを譲るかもしれない。

それができないとすると、その人自身がそういう優しさに出会えてないのかもしれない。

優しい人に囲まれると、自然と自分自身も誰かに何かをしたくなる。

となると、環境を選ぶのも自分自身。もしくは、その環境さえ自分で変えられる。

もし、今の環境に不満があるとしたら。自分で環境を変えてしまえばいい。そしたらどこででも自分が好きなようにできるから。

何を一番に考えるか

おはな

何を選択しても、誰かにとっては嬉しいことで

誰かにとっては悲しいことかもしれない。

何を一番に考えるかで、大事さも変わってくるしそれがいい悪いでもない。

何を選んでもいい世の中だから、その選択はその人自身を表している。

その人が何を選ぶ人なのか。それによって自分とフィーリングが合うかどうかも見えてくる。

その判断は誰かにとっては不利益があるかもしれないけど、一人でも多くの人にとってメリットのある方法を考え抜けるかどうか。