自分自身でも、今の自分が自分に正直に生きているのかわからなくなってしまう。
ある時からずっと、今の自分ではいけないことをさとり、自分を隠して生きていくことを
覚えてしまう。
不幸なことにも、それで生きやすくなったと勘違いをしてしまう。
周囲の意見に合わせて、自分を偽り、みんながいいことをよしとして生きていく。
周りと意見が一緒なので、煙たがられることもなく、輪から外されることもなく、
穏便に、ある意味快適に生きていくことができる。
でも、その期間が長くなればなるほど、自分は死んでいく。
生きているのに、死んでいる。生まれた時は世界にたった一人の存在であるにも関わらず。
輪を乱すと強制されてしまい、おりこうであること、何もしない子がいいことだと思って生きてきた。
いつも、お利口さんね。それが誰にも迷惑をかけずに生きていくための術だといつの間にか
信じてしまっていた。
なので、今ふと、本当の自分を探している時にわからなくなってしまう。
どこまでが、自分で、どこからが作られた自分なのか。
どこまでは、そのまま残して良くて、どこからは作られてしまった自分なのか。
正直になってと言われても、正直がなんなのかよくわからなくなってしまっている。。。
この年齢で気づくことができたのは本当によかった。既存の世界で生きていくためには、
変わらない方がよかったのかも知れないが、自分は違う世界で生きていく人間であることを
身をもって体験しているんだろう。長いこと、自分を騙してしまったけど、取り戻すのは
一瞬だと思う。一気に変化が押し寄せて、自分が自分でなくなる可能性もあるけど、
それでも受け入れる。痛みが伴うかも知れない。過去の自分を全否定することになるかも知れない。
それでもいい。むしろそうなるのが自然なんだ。
この変化を受け入れるだけの器量のある人、どんな変化であっても、どんと来いと構えることができる人、
大変な時、一番苦しい時、嫌な時、そんな時に一緒に時間を過ごしてくれる人がそばにいてくれる。
それがどれほど幸せなことか。。。いろんなことがあったけど、全てが必要な時間と思うことができ、
一緒に、新しい自分を探し合うことができる。
一時期は、世界を回ったり、いろんな体験をすることによって新しい自分に出会わなければと思っていたけど、
そんなことも、必要ないと思えた。だって、毎日が、日常が新しい発見の連続だから。
旅をして、自分を見つけることもかっこいいし、華やかだし、憧れるし。
強く劣等感を感じることもあったけど、たいそうなことをしなくても、
自分自身との対話や、大切な人との時間を過ごすだけで見つけることができる。
別に、場所はどこだっていいんだもん。何をするかよりも、誰とするか。
誰と同じ時間を過ごすかにかかってくると思う。
嫌なところには行かないし、自分の気を悪くするようなことはしない。
自分で自分の気分をアゲアゲにして、幸せに包み込まれている。これがいつもの自分。
大切な人をもっともっと大切にするために、依存ではなく、一緒にいることを選択し合えるような関係を守っていけるように、
自分をたくさん許して、思うままに感じたままに。
今まで、友情を自分のピンチに救ってくれる人に焦点を当てて生きてきたのは
これからも財産になると思う。
今の仲間は、絶対にピンチになったら何をかけてでも守ってくれると信じてる。
そう思える人とだけ、付き合っていく。
その誰もが、苦しい時には何が何でも助ける。
大切な人を誰よりも大切にして、人生を共に歩んでいく。
喧嘩というよりも、お互いの意見の主張を繰り返すたびに信頼が増していき、
主張によって、一時的に嫌な気持ちになるかも知れないが、不思議とその度に、安心感と幸せを感じてしまう。
こんな幸せなことってあるんだろうか。
もっと良くなるためにも、これから出会う新しい自分を認めて、愛してあげる。
自分を愛した分しか、相手を愛せないから。