自分を休めてあげる

休んでいるつもりになっていても、力が抜けない時もある。

リラックスしているつもりでも、リラックスできてない時がある。

休むために、動かないことが必要な時もあれば、

休むために、動くことが必要な時もある。

人によって、自分の整え方は違っていて、

いろんな方法を試しては、うまく行ったり行かなかったり。

人それぞれ、必要なものが違えば、満足できるレベルも異なる。

落ち着いて、安心して、ゆとりを持って。

久々に体調を崩して、自分を見つめ直してみて、改めて感じることもたくさんある。

食事、栄養、睡眠、運動、姿勢

意固地になる必要はないけど、自分の快適を損なわないように。

自分にとって必要なものを必要なだけ。

寝るタイミングも、起きるタイミングも、ご飯を食べる回数も、タイミングも、

人それぞれ違うんだから、自分に必要な量を見極める。

自分に向き合えば向き合うほど、いろんな可能性であり、

なんでもできるんだなーっと純粋に感じる思いを大切に、

いろいろやってみて、その時はうまく行かなくても、

うまく行くための準備をたくさんしているだけ。

そこに、速さも、うまさも、必要ない。

自分なりのやり方で進んでいく。

たくさんの音

家にずっといると、たくさんの音が聞こえてくる。

子供が学校に行く音、お買い物に行く音、工事の音、

電車の音、救急車の音、パトカーの音、たくさんの笑い声、虫や鳥の鳴き声。

日常生活の中にも、たくさんの音があるのになかなか気づかなかった。

今でこそ、落ち着いていられるから感じられる。

たとえ、小さいことであってもどれだけ気づくころができるか。

普段の生活をどれだけ気持ちが良いものにできるか。

今日は、風邪をひいたみたい。体力が落ちてきてるのかも知れないなー。

暖かくして、ご飯たくさん食べてゆっくりしよう。

すっからかんの人生

いろんなことを詰め込んで、たくさんことをこなして、生きていく人生はとっても素敵だと思う。

いろんなことを経験して、たくさん笑って、楽しんで、動いて動いて動き回る。

今までは、そうできることが羨ましいと思っていて、すごいことだと思っていて、

どうして自分にはできないんだろうと思っていた。。。

たくさんの予定に囲まれることで、充実感があって、常にいろんなことをできることは

楽しいことだと思い込んでいたし、人生を楽しむってそういうことなのかなーって。

それを真似して、予定を色々と詰め込んで見るけど、どうもうまくいかない。

突然、その予定そのものが嫌になったり、やりたくなくなったり、ネガティブな感情がでてきてしまう。

やってみると楽しいのに、毎回こんな風になってしまう。

一度の大きなイベントごとよりも、小さな幸せを感じる瞬間の方が幸せをたくさん感じることができる。

小さな幸せを感じるために、一つ一つの選択を丁寧にしたいと思えるし、

今のこの瞬間を精一杯大切にしたいと思える。

詰め込むことをやめてみて、余白をたっぷりと人生に注ぐと毎日が輝き出してくる。

何もしないことをよしとして、ただ存在するだけでもよしとして、自分が思い立ったままに生きていく。

お腹が空いたらご飯を食べ、眠くなったら眠り、外に出たくなったら外に出る。

余白があるからこそ、急に変更しても誰にも迷惑もかけないし、自分の嬉しい気持ちを存分に味わうことができる。

何もかもが、空っぽだからこそ、フラットな状態で全ての物事が自分物語の一部になる。

何もしなくても、幸せ。

何かしても幸せ。

幸せになるために、何かをする必要もないし、

何かをしたからといって、幸せになるとも限らない。

イメージや、感覚に乗っかるだけで良くて、

自分で考えて何かをしたところでたかが知れているんだから、

心の声に従っていくだけ。あるべき時に、タイミングは準備されているんだから。

焦って、闇雲に動く時期も必要かも知れないし、そうじゃないかも知れない。

誰にとっても、当てはまることも当てはまらないこともたくさんある世の中だから。

ある人にとっては、元気になるおまじないでも、

ある人にとっては、大ダメージになるかも知れない。

自分だけの、自分にしかできない幸せを見つけるために。

一つのきっかけとして、

いつも、余白を作っておくことが何かのヒントになるかも知れない。

すっからかんで、何も重荷を背負わない。

背負っているものも、何もかも捨ててみて、

自分だけで生きた時に何が残っているか。

知識や経験は同じものやことをすればコピーできるけど、

その時に考えたことや、感じたことはかけがえのない財産になる。

何を考え、何を感じられるか。そこに余白を作れるかどうか。

大きな世界にいくことだけが、経験ではない。

家の中にいても、体験できることは山ほどある。

どんなことをしても、余白がないならこぼれていくだけ。

余白しかないなら、吸収できることだらけ。

すっからかんの人生をたのしんでいこーーーーー

理解してくれる存在なしでは、今の状況は絶対に楽しめなかった

収入がない状態で、楽しく生きていて、ストレスが全くなく、

生きる楽しさを感じられる。

いつ、どうなるかわからない。そんなワクワクした毎日をここまで素敵に生きていけることは、

大切な存在があるからこそ。

まだ、開花していない状況であっても、自分の可能性を信じてくれる偉大な存在があるからこそ。

たった一人でもそんな存在に出会えただけで、幸せ極まりない。

ありがとう。

習慣について

ある本で、「習慣とは、生活を整えるための作戦」と書いてあった。

今まで、習慣について何も意識してなかったけど生活に安定感が出てきたから

改めて考えてみようかな。

いつも安定したパフォーマンスを発揮するためには、どんな時でも同じ状態にある方がいい

毎日違うことをしたり、ばらばらに生きてしまうと、いつがいい状態で、いつが悪い状態なのか

わからなくなってしまう。ある時は、むやみに元気で。ある時は全く動けなくて。

その波が大きいほど、嫌な気持ちになりやすくなったりしてしまう。

習慣に縛られることで、あれしなきゃ、これしなきゃとなることは、自分を苦しめることになるので、

やりたいから、やっていることを自然と習慣とすればいいと思う。

これをすれば落ち着くこと、安心すること、それを生活の中に意識して少しだけ取り入れてみる。

気分がいい時に判断したことが、気分の悪い時にみると最悪な決断をしていたり、

そのまた逆もある。

いつ、どんな時でも同じように判断できることが、心地いい時間を過ごす上でも

大切になってくる。

嫌な気分のまま、判断したことが大きなチャンスを逃している可能性もある。

成功している人のやり方をそのまま取り入れるのではなく、まずはやってみて、

自分の中で消化して、自分なりのオリジナルを加えてあげて、もっと幸せがますようにすると

どんどん楽しい人生に近づいていくんだろうな。

少しでも、心地よさが続くように。毎日をはつらつと過ごすために。

まずは、今の自分の時間の過ごしかたを見直してみて、

いらない時間から減らしてみる。空いた時間をほんの少しだけ、自分の好きなことに変えてみる。

本を読んでもいいし、音楽を聞いてもいいし、散歩してもいいし、運動してもいいし。

自分の心地よさは、自分でしか作れないから。

たくさん自分と会話して、あーでもない、こーでもない言いながら

本来の自分に少しづつ近づけたらいいな。

駐車場の神様

時間があったので、久しぶりにマクドナルドに行くと駐車場が満車だった。

コインパーキング式の駐車場で、自分以外にも止める車であふれていた。

駐車場が1台分空いたので、停めようとした時に別の車がやってきて、

その車の方が、駐車スペースに近い状況だった。

週末で、次にいつ停められるかわからない状況だったので、その車に

停められるかなーって思っていたら、窓が開いて、

「待ってありましたよね?とめてくださいーー」っていってくださった。

今までだったら?これまでは先に停められることも多々あって、

別に、悪いことでもなんでも無いんだけど。なんか悲しいなって思うことがあった。

だけどその人は、自分が停めることもできたにも関わらず渡してくれた。

なんでも無い日常かもしれないけど、それがとっても嬉しかった。

こんなに余裕を持って、過ごすことができているかな。。

最近は特に、自分のことで精一杯になってしまっていて、他に気を向ける余裕もなく、

過ごしてしまっているなーと反省。

その車は、ご家族で乗ってあったけど、娘さんはそんなお父さんをみて育っているから

とっても幸せだなと思った。いろんな感情を無しにして、

当たり前のように、いつもそうされているから自然とできるんだろうな。

そんな積み重ねをしていけるように、そんな幸せに気づけるように、

いきていきたいな。

ぶつかっても、喧嘩しても、寄り添っていけるように。

全力で生きていこう。

オープニングセレモニー

新しい門出って、こんなに嬉しい気持ちになるんだなーって初めて思った。

自分ごとじゃないし、初めてあった人だし、わからないことだらけなんだけど、

なぜか、涙が出てしまった。

大勢の人がオープン初日にホテルに遊びに来てて、嬉しそうな顔をしながら、

ホテルのいたるところを見て回って、驚いたり、ワクワクしたり、

人を笑顔にするって、素敵で自分もこんなに嬉しくなるんだって改めて感じた。

言葉にならないけど、人が喜ぶ顔を見るのが好きなんだろうなー。

こんなに喜んでくれるんだって思うと自然と涙が溢れてきて、

準備するまでにどれだけの苦労や、悩みがあったんだろうと思うと、

居ても立っても居られなくなってしまうんだろうな。

もし、自分の娘と一緒に会社を経営することになるってどんな気持ちになるんだろう。

想像しても、全く想像つかないけど、お父さんは本当に嬉しいだろうな。。

エネルギーに満ちていて、溢れていて、なんでも来いっていうほどの強さがあって。

すごいと言われても、「頑張れば誰でもできること」と言い切れてしまう。

年齢が近い人で、実際に代表をしている人が今まではいなかったけど、

初めてあってみて、安心感があった。

一人で生きているだけでは、出会うことは絶対になかった人だから。

今までの生き方では、絶対に会うことはなかった人だから。

会社を辞めて、自由になって、自分だけのために時間を使ってきて、

大切な人が引き合わせてくれたからこそ、新しい世界が広がった。

今まで自分がいる世界が嫌で、飛び出して、月日が過ぎていって、

少しづつ、自分の世界観も変わっていっている。だからこそのこのタイミングだったんだと思う。

出会う人が変わっていき、自分が変化していく。

今までになかったことが起きているだけで、確実に変化していることがわかる。

すぐに、何でもかんでも変わるものではない。

まだまだ、自分に対しての受け入れには可能性があるのもわかったし。

自分の中で、急激に具合が悪くなる瞬間。心のどこかで自分自身を愛することができてない部分。

今日はほんの少しだけ、垣間見えた気がする。

まさか、あんなところで、あんなタイミングで会うなんて誰も予想はできない。

あったことも、あった人も、あった場所も、意味があってあったんだろうな。

猛烈すぎる思いが生まれたってことは、紛れも無い事実だから。

明日はそれを紐解きつつ、振り返って見ようかな。

人生って不思議だなー。

偶然を偶然のままで終わらせるのか、チャンスと捉えて新しいことにチャレンジするのか。

あとは自分の気持ち次第。

なるように、状況は整っている。選ぶか選ばないか、するかしないかは全て自分次第。

思った通りの世界だから。

毎日の食卓

毎日話し合いながら、ご飯を食べることは発見の連続で面白い。

思っていること、気になること、嬉しいこと、嫌なこと全部話すことによって、

お互いがこれほど違うのかと驚くこともたくさんあるし、そういう考えなら、

その行動はこういう意味かなとか。

今まで生きてきて、怖くて伝えられなかったこと、伝える必要がないと思っていたこと、

言わなかったことも、言って良いんだっていう安心感。

言ったら、自分自身が困ることになると思っていた。そして、相手を傷つけてしまうとお思っていた。

だけど、伝えることによって、いろんなことが変わっていく。

今まで怖気付いてできなかったことを今では躊躇なくすることができる。

これが、これからの人生をどれだけ変えることか。

自分のことを大切にすることが、これほどストレスなく、自由気ままで、

なんでもOKになるなんて、まさか自分がこんなことできるなんて思いもしなかった。

一人では、できないことだもんな。。。

ありがとう。

本来の自分に徐々に戻っていって、もっとたくさんの幸せを感じることができるようになって、

たくさんの人を幸せにしていくんだろうな。

楽しみだ。

久々の外出

ゆっくりといつも通りの時間に起きて、ちょうど連絡を取りたかった相方さんから連絡があった。

引越しのための内見に。新しい家を決めることに付き添えるのって、嬉しいなーと思った。

新しい環境、新しい生活、ワクワクすることを一緒にできるって素敵だな。

物理的に若干距離が離れたにも関わらず、今でも連絡をくれるのは嬉しいことだと思う。

周りの人間関係を今までちゃんと選んできてよかったと心から思うことができる。

嫌なものは嫌、自分が心地いいと思える人とだけ付き合っていく。

心地よくない付き合いは長続きしないし、心のエネルギーも減るし、

体に悪い。

他の人からはいいと思われている人でも、自分に合わないなら心に従うべき。

他の人のいいと感じる部分と、自分は違うんだから。

どちらかというと、みんなと仲良くできるタイプの人と深く付き合えるイメージの方が近いのかなー

それにしても、土日は道も混むし、お店は並ぶし、駐車場は大変なことになってるし、

時間がどんどん奪われていくなーって感じた。

同じことでも、並ばずにストレスフリーでできる方法はたくさんあるはずなのに、

環境が変わってから改めて時間の大切さを実感することが多くある。

移動の時間や、並ぶ時間、駐車場の渋滞の時間をいかに使うことができるか。

いかに楽しい時間に変換できるかが、人生を大きく左右する事になる。

どの選択が、自分にとって一番気持ちが良いものになるか感じる。

久々に、汗をかきたくなったのでバスケットに参加。

動けるメンバーが揃っていて、久々にバスケらしいバスケをする楽しさを感じることができた。

やっぱり身体が動ける状態にしておくことは大切で、何があっても良いような身体をいつも整えておく。

むやみやたらに、鍛えるのではなく、あくまでも自分の心地よい感覚のままに。

良いも悪いもないんだから。自分にあった身体になるように、

毎日少しずつ、改善していけたらもっと楽しくなっていけそうだ。

しっかり栄養とって、たくさん寝て、明日からの楽しみに備えていこう。

喧嘩するほど好きになる

自分自身でも、今の自分が自分に正直に生きているのかわからなくなってしまう。

ある時からずっと、今の自分ではいけないことをさとり、自分を隠して生きていくことを

覚えてしまう。

不幸なことにも、それで生きやすくなったと勘違いをしてしまう。

周囲の意見に合わせて、自分を偽り、みんながいいことをよしとして生きていく。

周りと意見が一緒なので、煙たがられることもなく、輪から外されることもなく、

穏便に、ある意味快適に生きていくことができる。

でも、その期間が長くなればなるほど、自分は死んでいく。

生きているのに、死んでいる。生まれた時は世界にたった一人の存在であるにも関わらず。

輪を乱すと強制されてしまい、おりこうであること、何もしない子がいいことだと思って生きてきた。

いつも、お利口さんね。それが誰にも迷惑をかけずに生きていくための術だといつの間にか

信じてしまっていた。

なので、今ふと、本当の自分を探している時にわからなくなってしまう。

どこまでが、自分で、どこからが作られた自分なのか。

どこまでは、そのまま残して良くて、どこからは作られてしまった自分なのか。

正直になってと言われても、正直がなんなのかよくわからなくなってしまっている。。。

この年齢で気づくことができたのは本当によかった。既存の世界で生きていくためには、

変わらない方がよかったのかも知れないが、自分は違う世界で生きていく人間であることを

身をもって体験しているんだろう。長いこと、自分を騙してしまったけど、取り戻すのは

一瞬だと思う。一気に変化が押し寄せて、自分が自分でなくなる可能性もあるけど、

それでも受け入れる。痛みが伴うかも知れない。過去の自分を全否定することになるかも知れない。

それでもいい。むしろそうなるのが自然なんだ。

この変化を受け入れるだけの器量のある人、どんな変化であっても、どんと来いと構えることができる人、

大変な時、一番苦しい時、嫌な時、そんな時に一緒に時間を過ごしてくれる人がそばにいてくれる。

それがどれほど幸せなことか。。。いろんなことがあったけど、全てが必要な時間と思うことができ、

一緒に、新しい自分を探し合うことができる。

一時期は、世界を回ったり、いろんな体験をすることによって新しい自分に出会わなければと思っていたけど、

そんなことも、必要ないと思えた。だって、毎日が、日常が新しい発見の連続だから。

旅をして、自分を見つけることもかっこいいし、華やかだし、憧れるし。

強く劣等感を感じることもあったけど、たいそうなことをしなくても、

自分自身との対話や、大切な人との時間を過ごすだけで見つけることができる。

別に、場所はどこだっていいんだもん。何をするかよりも、誰とするか。

誰と同じ時間を過ごすかにかかってくると思う。

嫌なところには行かないし、自分の気を悪くするようなことはしない。

自分で自分の気分をアゲアゲにして、幸せに包み込まれている。これがいつもの自分。

大切な人をもっともっと大切にするために、依存ではなく、一緒にいることを選択し合えるような関係を守っていけるように、

自分をたくさん許して、思うままに感じたままに。

今まで、友情を自分のピンチに救ってくれる人に焦点を当てて生きてきたのは

これからも財産になると思う。

今の仲間は、絶対にピンチになったら何をかけてでも守ってくれると信じてる。

そう思える人とだけ、付き合っていく。

その誰もが、苦しい時には何が何でも助ける。

大切な人を誰よりも大切にして、人生を共に歩んでいく。

喧嘩というよりも、お互いの意見の主張を繰り返すたびに信頼が増していき、

主張によって、一時的に嫌な気持ちになるかも知れないが、不思議とその度に、安心感と幸せを感じてしまう。

こんな幸せなことってあるんだろうか。

もっと良くなるためにも、これから出会う新しい自分を認めて、愛してあげる。

自分を愛した分しか、相手を愛せないから。

気分と体調の変化について

気分によって、体調はこんなにも大きく変化してしまう。

自分のいいところも、そうじゃないと思っているところも、全部ひっくるめて

自分なんだってことに気付けるかどうかで人生は変わってくるんだと改めて実感することができた。

自分の中でも、こうあるべきとか、こうしてはいけないってことが自分自身を締め付けてしまっていて、

思いがけない形で、自分自身を苦しめてしまう。

自分で意識しているだけでは、すぐに見逃してしまう。

自分では良かれと思ってやっていることでも、何か我慢が生じたり、

体のどこかに負担をかけてしまっている。

自分の状況や、感覚を客観的に見ていくためにも今は練習期間だし、

今までにやってきたことを否定するようなことをやっているので、

一時的にはストレスになるかもしれないけど、これを受け入れて乗り越えた時には

また大きく景色が変わってくる。今は今で必要な時期だし、そんなこと今までにしたことないと思っても

逃げずに、やってみる。新しい自分が何をみて、何を体験して、何を感じるかを毎日感じながら。

大したことない変化なのかもしれないけど、自分にとっては大きなことの連続で、

自分をあるがままに受け入れる量に比例して、他の人への理解が深まると考えれば、

自分への理解が何よりもせんけつになってくる。

幸い、本当に幸いなことに、そのことを向き合って話し合ってくれる存在があるからこそ、

今こうやって、自分とはなんなのかを必死になって考えるチャンスに恵まれている。

こんなこと、一人では絶対にできないし、可能性を最後まで信じてくれる巡り合わせに

出会えたことが何よりも幸せなことだと思う。

年数で考えると、時間がかかっているように思えるけど、今振り返ってみると

必要な時間だったのかもしれないし、その時間があったからこそ、今があると考えると

幸せをこれだけ噛み締めながら生きていけるってこんなにも幸せなことなんだなとはっきりわかる。

別に何かを成し遂げたわけでも、なんでもないかもしれないけど、

自分という可能性をいろんな方面から確かめながら生きていけることを

今の年齢で知ることができたのは、貴重だと思う。

わからないまま、人生の大半を過ごしてしまうところだったかもしれない。

それが、幸せってこともあるから一概には言えないけど、自分の道が違っただけ。

こちらの世界に来て思うけど、たくさんの人が働いてくれるからこそ、

世の中は回っているんだなっていう感謝の気持ちが溢れてくる。

自分も働いているときは、あまり思わなかったことだけど、

こうやって、自由に、なんでもしていい状況で生きていけるのも、

誰かが我慢しながらでも生きていくために働いてくれているからこそだと思う。

心から楽しくそして、いい時間の過ごし方を買い物しながら体験できるのも、

本当に感謝しかない。

そんな自分に育ててくれて?待っててくれてありがとう。

これから、さらなる世界が広がっていると考えると、毎日が輝き出して、

自分自身も輝き出して、ピカピカの一生をおくっていくんだろうな。