引越し

業者なしでの引越しもあと少しで完了

久々の引越しで勝手がわからないままだったけど、

たくさんの人の協力のおかげで、引越しも順調に進んでいっている。

車を貸していただいたり、夜勤明けに手伝いに来てくれたり、

洗濯機を一人で運んでくれたり。

一人ではできないことでも、人が集まればよりたくさんのことができる。

時間に関係なく、快く手伝ってくれる仲間がいることには本当に感謝しかない。

あとは、今の家の掃除をして

新しい家の荷ほどきをして、新生活の始まり。

新天地で、心機一転、新しい自分に出会う。

一時的に収入は減ってしまうけど、このあと大きく増やしていくために、

大きな循環にするためには、大切な決断をできたから、

あとは、突き進むだけ。

この、挑戦を支えてくれる人がいるので、自分は恵まれている。

新しい環境になるにあたって、たくさんの壁が立ちはだかってきたけど、

ひとつひとつ、乗り越えてきてちゃんと達成できている。

環境が変わるだけで、人はあっという間に変わることができる。

変えようとしなくてもいい。

変えようとすると、形がいびつになってしまう。

勝手に変化することを受け入れていくだけでいい。

引越ししながら、ゴロゴロしながら、ゆったりとした時間を感じながら

毎日過ごせることがどれだけ幸せなことなのか。

立ち止まってみて、改めて実感することができた。

自分だけの幸せをみつけるためには、ゆっくり自分の周りを見渡す時間が必要。

じっくり自分だけの時間を感じることが、新しい世界への第一歩になっていく。

不安はまったく感じなくて、むしろワクワクが膨らんでいく。

自分でもこの先どうなるかわからない、高揚感は何事にも変えがたい。

何をするのか、何になるのか、どうあるのか。

しっかり準備して、あとは待つだけ。

ブログを始めた5つのきっかけ

ふと、思い立ってブログを始めて見たけど

振り返ったことがなかったので、振り返ってみようと思う。

働く意味がわからなくなった

なぜ、働くのか。

自分の時間を使って、自分が生きていくための給料を稼ぐために働くのか

与えられた使命を全うするために働くのか

誰のために自分の時間を使って仕事をしているのかわからなくなった。

よく、モラトリアム※と呼ばれていた。

E.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我同一性を確立してゆく。小此木啓吾によれば,現代人には,この猶予期間を引延ばし,大人になろうとしない「モラトリアム人間」 moratorium personalityの傾向が強い。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0-142803

今の自分がこのままでいいのか。このままでは嫌だと強く思った。

自分の思いを思ったままに吐き出したかった

いろんなしがらみがあると、発言したくなくなってしまう。

自由気ままに、思ったことを思ったまま書き出して

振り返った時の自分の歴史として残るのは嬉しいと思った。

あの時の自分の思いが、いつか誰かの役にたつかもしれない。

誰かの心を救うことができるかもしれない。

飾った言葉ではなく、等身大の自分で。

全てから自由になりたかった

時間、お金、人間関係から自由になりたかった。

自分の時間を誰の役に立っているかわからないことに費やすのが、嫌になった。

サラリーマンとして、企業に勤め上げて、新卒からだいたいみんな20万からスタートして、

1,000万くらい稼げるようになったとして、まだまだ自由とは呼べないと思う。

嫌な人間関係だけど、仕事上必要だから付き合うなんて、間違っている。

大切な時間は、大切な人にだけ使う。

一生に一度しかない人生を嫌な人のために我慢して使うことはできない。

モラトリアムっていい言葉

いままで、モラトリアムをマイナスに捉えてきた。

社会にうまく適合できてない、できそこないだと。

でも、全くそんなことはなかった。

次の仕事を決めずに、ポンと仕事を辞めることは他の人には難しいみたい。

貯金額がないのに、仕事をやめることは他の人には難しいみたい。

怖くてできないと。

モラトリアムになったおかげで、他の人にはできないことに一歩近づいた。

今のままでいいのか、漠然とした不安。

これが本当の自分なのかっていう問いかけ。

モラトリアムが全くなく、順風満帆の人もいるかもしれない。

けど、さらにいい状況や、環境に飛び込むエネルギーは湧き出てこない

今のまま、頑張ればそれはそれで、一つの幸せを見つけるかもしれない。

でも、そうじゃないと思うからこそ、新しい世界が待っていて、

見たことないような世界が待っている。

モラトリアムのおかげで、今の自分がある。

もっと、モラトリアムに溢れる世界になっていくこれからは、

ワクワクしか残っていない。

もちろん、いろんな体験に出会うので、その度に刺激に溢れる。

人生は自分のもの

誰になんと言われようとも、人生は自分のもの。

誰かに任せれば、簡単に過ぎ去っていくような人生になる。

自分で舵を握れば、波乱万丈、ワクワクの世界が開き始める。

自分の心が何を求めているか。

自分の心の声に耳を澄ませて。

全然書き足りないから、定期的に振り返ってみる。

運命は誰のもの?

「半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は運命が私たちに任せているのも真実である」

著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018年5月2日
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:株式会社 文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.1606

いろんな巡り合わせは、運命の女神様が運んできてくれるけど、

ここぞというタイミングでは、運命に任せずに、自らの意思で大胆に決断することで、

道が拓けていく。

冷静であるがゆえに、タイミングを失ってしまったり決断できなことは多々ある。

たくさんチャンスが巡ってきては、目の前を素通りしていく。

自分にとってそれが必要なのか、肝心なことなのか判断できないから。

人からのアドバイスも、助言もチャンスも、何もかもが、

普段から自分がどれだけ準備しているかどうかにかかってくる。

必要じゃない時に、助言をもらっても自分にとってはなんとも思わないまま

聞き流してしまったり、ないことにしてしまったり。

自分にとって都合が悪いことだと、聞くこと自体をやめてしまったり。

沈んでいる時や、悲しいときは、話をきいてほしいだけで、話を聞きたいと思ってないこともある。

そうならないように?その状況がいやであれば、変われるのは自分もそうだけど、

環境も自分の力で変えることができる。

環境は、多くの運命を変えてくれる。逃げることはダメで、我慢を続けることが美徳とされてきた

学校教育には、背く形になるけど、それが人間らしい選択なんだと思う。

我慢して、いやなことを続けて、従うだけでOKな生き方はたくさんのことを犠牲にすればすることができる。

今まで、学校という環境の中でしか生きてきてない中で、急に変えることがどれだけ難しいことか。

違う環境を知らない。誰も教えてくれない。それしかないと思ってしまうのは当然だと思う。

学校の延長で、社会も同じような仕組みだと思う。

その環境にしか身を置いていないと、どんどん身体が心がその環境に慣れてしまう。

同じような考えの仲間に囲まれ、同じような価値観の集団に囲まれ、

徐々にその環境での居心地が良くなってしまい、時間だけが過ぎていく。

そのままでも、何も問題ないし、それが幸せって考え方もある。

でも、いやなことを我慢しても、身につくものは何もない。

好きなことを楽しさ全力でやっている人からしたら、

我慢する能力なんて、無駄でしかない。

今の環境は自分自身が作り出したものって言われた時に、そんなの違うって思ってる時点で、その環境に浸ってしまっている。

否定の思いが強ければ強いほど、心はもう荒んでいる。

違うなら、自分を変えることも大切だけど、環境を変えてしまえばいい。

環境が変われば、いやでも自分は変わっていく。

自分は変えようとしなくても勝手に変わっていく。

いかに、デフォルトの自分でいられる環境を見つけ出せるかどうか。

苦しいときは、冷静な判断なんてできない。そのせいで思考にいろんな制約がかかるから。

長期間、その場から離れて見て自分を自分である時間を長く作る。

そうすれば、運命の女神様が新しい運をはこんできてくれる。

運命が運ばれてから動くのではなく、いつもと違う行動をした後に

新しい運が運ばれてくる。そのときには、自分が変わっているので今までどれだけ難しかったことでも、いとも簡単に成し遂げられてしまう。

環境を大きく変えた後に、冷静になって考えるくらいでいいと思う。

他の人からすれば、大胆な行動に見えるかもしれないけれども、

強制的に、冷静になる時間を作って、自分のために生きる。

たった一人でも、自分のことをわかってくれる人がいるなら、

それだけで幸せなんだから。

自由に生きていける環境が整っている。

そのことを知って、運命は私たちに任されているなら、

あとは、好きなことを選ぶだけ。

好きなことがなくてもいい。

あったら、ラッキー。

ないなら、新しい環境を常に探しながら、

新しい運が運ばれてくることを気長に待つだけ。

やりたいことで生きていく

自分が向いていると心から感じられる作業に全力で打ちこみ、充実した手ごたえを感じながら毎日を生きている人を、世界が放っておくことはないでしょう。

著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018/04/27
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.169

自分に向いていると思えることに出会えることは本当に幸せなことだと思う。

多くの人が向いているのかわからないことに従事して、生きていることが多い気がする。

生きていくためには、生活をするためには、仕方がないから。

その世界でどう頑張っても、好きでやっている人には勝ち目がない。

それに、向いてないことにどれだけ時間を費やしても、

成長どころか、心が荒んでしまう。

好きなことをやっている人は、毎日が充実していて、ワクワクしながら生きている。

今までの自分は、心からワクワクなんてできないだろうと思っていたけど、

仕事を辞めて、ストレスから解放されて、毎日好きなことをする日々を通して、

心はとても豊かになった。

今までどう頑張ってもできなかったこともできるようになり、

身体は毎日軽く、圧倒的に自己肯定感が高まっていくのが目に見えてわかる。

自分を折り曲げて歪ませて世の中に適応することは

誰も得しない。

心も、身体も長くは持たない。

楽しいって感覚をどこまで追求できるかが、より多くの人に貢献できる唯一の方法だと思う。

楽しんで楽しんで、楽しみ尽くした先に、新しい世界が待っている。

我慢もない、無駄な気遣いもない、嫌な環境もない、

自分の好きだけが周りにある状態。好きなことをしながらも

思いがけない形で誰かの役に立ったり、誰かを励ましたり、誰かを救ったり。

楽しいことの先にはもっとたくさんの素敵なエネルギーが待っている。

好きなことだけやって、誰かを救えるなんてこんなにすごいことはない。

覚悟を持って、楽しいだけを追求する。

どんな問題が起きても挫けずに進んでいく。

うまくいくとか、行かないとかの感覚を超えて、

勝手に世界が回り出す。

嫌なことや、嫌いなことを我慢して続ける時間はない。

人生はあっという間。人間いつ死ぬかわからないし、今の生き方で明日死んでもいいか。

明日死ぬかもしれないのに、最後にやったことは面白くもなんともないことでいいのか。

好きなことならなんでもいい。逃げてもいい。

好きをとことん追っかけてみて、元気になってから戻ってきてもいい。

なんでもOKな世界だから。

他の人がいうことを気にする暇はない。身近な人だけの意見にのまれる必要もない。

もっと大きな世界で、自分を見つめ直して見て。

心が何を欲しているのか。時間をかけて見つめてあげる。

心の声にそのまま従ってみる。

やりたいことをやってみる。

嫌なものから離れる。

少しづつ、心を元気にしてあげる。

わくわくするために生まれてきたんだから、全力でわくわくしまくっていきていく。

大きなチャンスを掴むために。

いい結果

いい結果はプロセスを楽しんだおつり。

自分のやるべきことを明確にして、それに向かって突き進んでいく中で、

結果を求めて行動するよりも、プロセスをどれだけ楽しめるかが決め手になってくる。

いい結果を出すことに執着するのではなく、今この瞬間にやりたいことに熱中して、

自分にとって充実している状態を常に作り出しておく。

するといつの間にか、いい結果がついてくる。

自分にとって充実感のないことをどれだけ我慢してやり遂げても、

残るのは虚無感と、やるせない気持ちだけ。

社会にとっては必要な我慢という能力は育つかもしれないけど、、、

それは、本当に必要なことなのか。

誰しもが、側から見れば真似できないようなことをやり遂げる能力があるはず。

本人にとっては、努力と感じないようなことがあるはず。

それを見つけることができれば、世の中はもっと幸せになっていく。

楽しいをどうやって感じるか。

今まで、楽しいと思っていた活動が楽しく無くなる時がある。

疲れなのか、ストレスなのか、自分が変わってしまったのかと思ってしまうけど、

心が曇ってしまっただけだった。

曇りが晴れると、のびのびとありったけ楽しむことができる。

きつくてできないと思っていたことも、いとも簡単にできるようになってしまう。

仕事を失ってしまう恐怖よりも、自分が自分でなくなってしまうことの方がどれほど怖いことか。

自分が自分であるだけで、こんなにも生きることが楽しいなんて思ってもみなかった。

自分を生きる。ただそう決めるだけ。

何を言われても、どんなことがあっても自分の軸で考えていく。勝負していく。

当たり前のようでこれがどれだけ難しいことなのかもほんの少しだけわかってきた気がする。

きつい状況から逃げ出して、どうなるかわからない環境に飛び込んでも

誰も責任をとってくれない。

苦しい状況の中で、ずっと我慢し続けて、あなたがどうなっても

誰も責任を取ってくれない。

どんな状況でも、誰にも責任を取れない。取ってくれない。

なら、いっそのこと自分の責任だけで生ききってしまって

山あり、谷ありの人生の方が楽しい。

そこまでわかった上で、逃げること、残ることを選択するのもありだと思う。

いい悪いではない。どちらを選択するかっていうだけ。

なにしてもOKな人生なんだもん。