引越し

業者なしでの引越しもあと少しで完了

久々の引越しで勝手がわからないままだったけど、

たくさんの人の協力のおかげで、引越しも順調に進んでいっている。

車を貸していただいたり、夜勤明けに手伝いに来てくれたり、

洗濯機を一人で運んでくれたり。

一人ではできないことでも、人が集まればよりたくさんのことができる。

時間に関係なく、快く手伝ってくれる仲間がいることには本当に感謝しかない。

あとは、今の家の掃除をして

新しい家の荷ほどきをして、新生活の始まり。

新天地で、心機一転、新しい自分に出会う。

一時的に収入は減ってしまうけど、このあと大きく増やしていくために、

大きな循環にするためには、大切な決断をできたから、

あとは、突き進むだけ。

この、挑戦を支えてくれる人がいるので、自分は恵まれている。

新しい環境になるにあたって、たくさんの壁が立ちはだかってきたけど、

ひとつひとつ、乗り越えてきてちゃんと達成できている。

環境が変わるだけで、人はあっという間に変わることができる。

変えようとしなくてもいい。

変えようとすると、形がいびつになってしまう。

勝手に変化することを受け入れていくだけでいい。

引越ししながら、ゴロゴロしながら、ゆったりとした時間を感じながら

毎日過ごせることがどれだけ幸せなことなのか。

立ち止まってみて、改めて実感することができた。

自分だけの幸せをみつけるためには、ゆっくり自分の周りを見渡す時間が必要。

じっくり自分だけの時間を感じることが、新しい世界への第一歩になっていく。

不安はまったく感じなくて、むしろワクワクが膨らんでいく。

自分でもこの先どうなるかわからない、高揚感は何事にも変えがたい。

何をするのか、何になるのか、どうあるのか。

しっかり準備して、あとは待つだけ。

ブログを始めた5つのきっかけ

ふと、思い立ってブログを始めて見たけど

振り返ったことがなかったので、振り返ってみようと思う。

働く意味がわからなくなった

なぜ、働くのか。

自分の時間を使って、自分が生きていくための給料を稼ぐために働くのか

与えられた使命を全うするために働くのか

誰のために自分の時間を使って仕事をしているのかわからなくなった。

よく、モラトリアム※と呼ばれていた。

E.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我同一性を確立してゆく。小此木啓吾によれば,現代人には,この猶予期間を引延ばし,大人になろうとしない「モラトリアム人間」 moratorium personalityの傾向が強い。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0-142803

今の自分がこのままでいいのか。このままでは嫌だと強く思った。

自分の思いを思ったままに吐き出したかった

いろんなしがらみがあると、発言したくなくなってしまう。

自由気ままに、思ったことを思ったまま書き出して

振り返った時の自分の歴史として残るのは嬉しいと思った。

あの時の自分の思いが、いつか誰かの役にたつかもしれない。

誰かの心を救うことができるかもしれない。

飾った言葉ではなく、等身大の自分で。

全てから自由になりたかった

時間、お金、人間関係から自由になりたかった。

自分の時間を誰の役に立っているかわからないことに費やすのが、嫌になった。

サラリーマンとして、企業に勤め上げて、新卒からだいたいみんな20万からスタートして、

1,000万くらい稼げるようになったとして、まだまだ自由とは呼べないと思う。

嫌な人間関係だけど、仕事上必要だから付き合うなんて、間違っている。

大切な時間は、大切な人にだけ使う。

一生に一度しかない人生を嫌な人のために我慢して使うことはできない。

モラトリアムっていい言葉

いままで、モラトリアムをマイナスに捉えてきた。

社会にうまく適合できてない、できそこないだと。

でも、全くそんなことはなかった。

次の仕事を決めずに、ポンと仕事を辞めることは他の人には難しいみたい。

貯金額がないのに、仕事をやめることは他の人には難しいみたい。

怖くてできないと。

モラトリアムになったおかげで、他の人にはできないことに一歩近づいた。

今のままでいいのか、漠然とした不安。

これが本当の自分なのかっていう問いかけ。

モラトリアムが全くなく、順風満帆の人もいるかもしれない。

けど、さらにいい状況や、環境に飛び込むエネルギーは湧き出てこない

今のまま、頑張ればそれはそれで、一つの幸せを見つけるかもしれない。

でも、そうじゃないと思うからこそ、新しい世界が待っていて、

見たことないような世界が待っている。

モラトリアムのおかげで、今の自分がある。

もっと、モラトリアムに溢れる世界になっていくこれからは、

ワクワクしか残っていない。

もちろん、いろんな体験に出会うので、その度に刺激に溢れる。

人生は自分のもの

誰になんと言われようとも、人生は自分のもの。

誰かに任せれば、簡単に過ぎ去っていくような人生になる。

自分で舵を握れば、波乱万丈、ワクワクの世界が開き始める。

自分の心が何を求めているか。

自分の心の声に耳を澄ませて。

全然書き足りないから、定期的に振り返ってみる。

運命は誰のもの?

「半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は運命が私たちに任せているのも真実である」

著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018年5月2日
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:株式会社 文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.1606

いろんな巡り合わせは、運命の女神様が運んできてくれるけど、

ここぞというタイミングでは、運命に任せずに、自らの意思で大胆に決断することで、

道が拓けていく。

冷静であるがゆえに、タイミングを失ってしまったり決断できなことは多々ある。

たくさんチャンスが巡ってきては、目の前を素通りしていく。

自分にとってそれが必要なのか、肝心なことなのか判断できないから。

人からのアドバイスも、助言もチャンスも、何もかもが、

普段から自分がどれだけ準備しているかどうかにかかってくる。

必要じゃない時に、助言をもらっても自分にとってはなんとも思わないまま

聞き流してしまったり、ないことにしてしまったり。

自分にとって都合が悪いことだと、聞くこと自体をやめてしまったり。

沈んでいる時や、悲しいときは、話をきいてほしいだけで、話を聞きたいと思ってないこともある。

そうならないように?その状況がいやであれば、変われるのは自分もそうだけど、

環境も自分の力で変えることができる。

環境は、多くの運命を変えてくれる。逃げることはダメで、我慢を続けることが美徳とされてきた

学校教育には、背く形になるけど、それが人間らしい選択なんだと思う。

我慢して、いやなことを続けて、従うだけでOKな生き方はたくさんのことを犠牲にすればすることができる。

今まで、学校という環境の中でしか生きてきてない中で、急に変えることがどれだけ難しいことか。

違う環境を知らない。誰も教えてくれない。それしかないと思ってしまうのは当然だと思う。

学校の延長で、社会も同じような仕組みだと思う。

その環境にしか身を置いていないと、どんどん身体が心がその環境に慣れてしまう。

同じような考えの仲間に囲まれ、同じような価値観の集団に囲まれ、

徐々にその環境での居心地が良くなってしまい、時間だけが過ぎていく。

そのままでも、何も問題ないし、それが幸せって考え方もある。

でも、いやなことを我慢しても、身につくものは何もない。

好きなことを楽しさ全力でやっている人からしたら、

我慢する能力なんて、無駄でしかない。

今の環境は自分自身が作り出したものって言われた時に、そんなの違うって思ってる時点で、その環境に浸ってしまっている。

否定の思いが強ければ強いほど、心はもう荒んでいる。

違うなら、自分を変えることも大切だけど、環境を変えてしまえばいい。

環境が変われば、いやでも自分は変わっていく。

自分は変えようとしなくても勝手に変わっていく。

いかに、デフォルトの自分でいられる環境を見つけ出せるかどうか。

苦しいときは、冷静な判断なんてできない。そのせいで思考にいろんな制約がかかるから。

長期間、その場から離れて見て自分を自分である時間を長く作る。

そうすれば、運命の女神様が新しい運をはこんできてくれる。

運命が運ばれてから動くのではなく、いつもと違う行動をした後に

新しい運が運ばれてくる。そのときには、自分が変わっているので今までどれだけ難しかったことでも、いとも簡単に成し遂げられてしまう。

環境を大きく変えた後に、冷静になって考えるくらいでいいと思う。

他の人からすれば、大胆な行動に見えるかもしれないけれども、

強制的に、冷静になる時間を作って、自分のために生きる。

たった一人でも、自分のことをわかってくれる人がいるなら、

それだけで幸せなんだから。

自由に生きていける環境が整っている。

そのことを知って、運命は私たちに任されているなら、

あとは、好きなことを選ぶだけ。

好きなことがなくてもいい。

あったら、ラッキー。

ないなら、新しい環境を常に探しながら、

新しい運が運ばれてくることを気長に待つだけ。

やりたいことで生きていく

自分が向いていると心から感じられる作業に全力で打ちこみ、充実した手ごたえを感じながら毎日を生きている人を、世界が放っておくことはないでしょう。

著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018/04/27
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.169

自分に向いていると思えることに出会えることは本当に幸せなことだと思う。

多くの人が向いているのかわからないことに従事して、生きていることが多い気がする。

生きていくためには、生活をするためには、仕方がないから。

その世界でどう頑張っても、好きでやっている人には勝ち目がない。

それに、向いてないことにどれだけ時間を費やしても、

成長どころか、心が荒んでしまう。

好きなことをやっている人は、毎日が充実していて、ワクワクしながら生きている。

今までの自分は、心からワクワクなんてできないだろうと思っていたけど、

仕事を辞めて、ストレスから解放されて、毎日好きなことをする日々を通して、

心はとても豊かになった。

今までどう頑張ってもできなかったこともできるようになり、

身体は毎日軽く、圧倒的に自己肯定感が高まっていくのが目に見えてわかる。

自分を折り曲げて歪ませて世の中に適応することは

誰も得しない。

心も、身体も長くは持たない。

楽しいって感覚をどこまで追求できるかが、より多くの人に貢献できる唯一の方法だと思う。

楽しんで楽しんで、楽しみ尽くした先に、新しい世界が待っている。

我慢もない、無駄な気遣いもない、嫌な環境もない、

自分の好きだけが周りにある状態。好きなことをしながらも

思いがけない形で誰かの役に立ったり、誰かを励ましたり、誰かを救ったり。

楽しいことの先にはもっとたくさんの素敵なエネルギーが待っている。

好きなことだけやって、誰かを救えるなんてこんなにすごいことはない。

覚悟を持って、楽しいだけを追求する。

どんな問題が起きても挫けずに進んでいく。

うまくいくとか、行かないとかの感覚を超えて、

勝手に世界が回り出す。

嫌なことや、嫌いなことを我慢して続ける時間はない。

人生はあっという間。人間いつ死ぬかわからないし、今の生き方で明日死んでもいいか。

明日死ぬかもしれないのに、最後にやったことは面白くもなんともないことでいいのか。

好きなことならなんでもいい。逃げてもいい。

好きをとことん追っかけてみて、元気になってから戻ってきてもいい。

なんでもOKな世界だから。

他の人がいうことを気にする暇はない。身近な人だけの意見にのまれる必要もない。

もっと大きな世界で、自分を見つめ直して見て。

心が何を欲しているのか。時間をかけて見つめてあげる。

心の声にそのまま従ってみる。

やりたいことをやってみる。

嫌なものから離れる。

少しづつ、心を元気にしてあげる。

わくわくするために生まれてきたんだから、全力でわくわくしまくっていきていく。

大きなチャンスを掴むために。

いい結果

いい結果はプロセスを楽しんだおつり。

自分のやるべきことを明確にして、それに向かって突き進んでいく中で、

結果を求めて行動するよりも、プロセスをどれだけ楽しめるかが決め手になってくる。

いい結果を出すことに執着するのではなく、今この瞬間にやりたいことに熱中して、

自分にとって充実している状態を常に作り出しておく。

するといつの間にか、いい結果がついてくる。

自分にとって充実感のないことをどれだけ我慢してやり遂げても、

残るのは虚無感と、やるせない気持ちだけ。

社会にとっては必要な我慢という能力は育つかもしれないけど、、、

それは、本当に必要なことなのか。

誰しもが、側から見れば真似できないようなことをやり遂げる能力があるはず。

本人にとっては、努力と感じないようなことがあるはず。

それを見つけることができれば、世の中はもっと幸せになっていく。

楽しいをどうやって感じるか。

今まで、楽しいと思っていた活動が楽しく無くなる時がある。

疲れなのか、ストレスなのか、自分が変わってしまったのかと思ってしまうけど、

心が曇ってしまっただけだった。

曇りが晴れると、のびのびとありったけ楽しむことができる。

きつくてできないと思っていたことも、いとも簡単にできるようになってしまう。

仕事を失ってしまう恐怖よりも、自分が自分でなくなってしまうことの方がどれほど怖いことか。

自分が自分であるだけで、こんなにも生きることが楽しいなんて思ってもみなかった。

自分を生きる。ただそう決めるだけ。

何を言われても、どんなことがあっても自分の軸で考えていく。勝負していく。

当たり前のようでこれがどれだけ難しいことなのかもほんの少しだけわかってきた気がする。

きつい状況から逃げ出して、どうなるかわからない環境に飛び込んでも

誰も責任をとってくれない。

苦しい状況の中で、ずっと我慢し続けて、あなたがどうなっても

誰も責任を取ってくれない。

どんな状況でも、誰にも責任を取れない。取ってくれない。

なら、いっそのこと自分の責任だけで生ききってしまって

山あり、谷ありの人生の方が楽しい。

そこまでわかった上で、逃げること、残ることを選択するのもありだと思う。

いい悪いではない。どちらを選択するかっていうだけ。

なにしてもOKな人生なんだもん。

淡々と続けていく

好きなことを淡々と続けていく。

誰に邪魔されるわけでもなく、続けていく。

自分の思い描く未来に向けて。

今までは、こうでなければいけないとか、

こうあるべきって思いが強くて、いつも自分が嫌いだったけど、

今となっては、自分が大好きだし、自分が必要と思ったことをただひたすら追い求めることの

楽しさに気づき始めた。

自分のことが嫌な状況からでも、自らの選択で好きな自分に変えることができる。

今までできなかったことが、今となってはいとも簡単にできるようになっている。

昔の自分では信じられなかったことができるようになっている。

この体験は何事にも変えられない。

タイミングは人それぞれで、必要な時にその時がやってくる。

いつもチャンスに囲まれていることは事実だけど、自分のことを好きになっていない状態では、

チャンスに見えなくなってしまう。チャンスに囲まれているから、チャンスを掴みにいくのではなく、

とことん、自分のことを愛すること。何をしている自分でもいい。何もしていない自分でもいい。

自分を好きになるだけで、世の中はどんどん変わっていく。

そんな人が世界中で一人でも増えるような活動を通して、世の中を変える。

今の自分でもできるかもしれないが、大きな循環を生み出していくために、

たくさんエネルギーを循環させることができるように、

今は、ひたすら好きを追求していく。

その先に目指すべきものがあるから。

自分自身がコンテンツとなって、1日1日が自分にとってかけがえのない日の連続で。

嫌なものに時間を費やす暇はない。何も生まれないから。

好きなことをやっている時間にだけ、今までになかったことを生み出す何かが眠っている。

ワクワクしながら、毎日感謝して、たくさんのことを叶えていく。

大丈夫、自分ならできる。

ランニング日和

長かった雨の時期を抜けて、久しぶりにゆっくり時間をかけて

ランニングをすることができた。

まだ、日差しは強いもののうだるような暑さではなく、

程よく汗をかける程度の気候になってきた。

ランニングをしてよかったこと

今までは、体調が悪くランニングをできなかったが、

いざ初めてみるといいことづくし。

  • 体力の向上
  • 心がスッキリ
  • 代謝の向上
  • 音楽を楽しめる
  • 景色を楽しめる
  • 脚力の向上
  • スタイルが良くなる

普段の生活では

普通に生活をしていると、なかなか汗をかく機会がない。

汗をかかないと、体内の水分が循環しないので、

体調が悪くなったり、むくんだり、身体が重くなったり。。

最初はとてもきついけど、1ヶ月も続けるうちに、効果は現れてくる。

最新のアイテム

今は、クッション性のある靴があったり、疲労を素早く回復させてくれる高機能タイツがあるので、

疲れを極力残すことなく、トレーニングに打ち込むことができる。

逆に、種類が多すぎて選ぶのが難しくなっているので、

ある程度は、自分で知識をつけてからショップなどに行った方がいい。

店員さんのレベルにもよるが、お店の推し商品であったり、しがらみもあるので、

本当にその人に合うものを提供してもらえるかどうかは、わからない。

その人が実際にランニングをしているかどうかが一番大切。

実際にしていない人からの言葉は、どうしてもお店側の売り文句になってしまうので、

現実味がなく、実際に言われた取りに購入しても、購入した側もよくわからないので、

いい買い物ができたと勘違いをする可能性もある。

自分に合うものを見つけるためには、時には失敗も必要かもしれないが、

今は、靴に関するレビューも大量にあるので参考にしてから購入することで安心感もます。

走る理由

走る理由は人それぞれ。

大会を目指す人

健康志向の人

運動不足解消のため

そこに道があるから

理由はなんであっても、自分で身体を動かす大切さを知ることで、

普段の生活や、将来の夢などが大幅に改善される。

健やかな身体と、健やかな精神を勝ち取るためにも、ランニングは

初期費用の少ない娯楽だと思う。

走らなくてもいきていけるし、

走っても、何も景品はないし、だけど、

どんなことにも全力で打ち込むためには、最低限の体力が必要。

体力がなくて、いままで断念してしまったことを

体力をつけるだけでなんでもできるようになる。

1日に一つのイベントをやって終わりだったところから、

朝から登山して、クライミングして、本読んで、映画見て、飲み会に行って

1日にできることが増えることによって、人生はもっと輝き出す。

三日坊主でもなんでもいいから、ひとまず走ってみよう!

何も考えずに走ってみたら、世界が広がっていく!

周りのペース

ペースを合わせること

いきていく上で、たくさんの人と関わりを持つ。

何をするにも早い人、遅い人が存在して早い方がいいと思われがち。

うまくできる人と、うまくできない人がいて、

うまくできる方が評価されがち。

たくさんの人と関わることができる人と、ごく少数で関係を持つ人がいて、

社交的な人の方が評価されがち。

それぞれ、みんな違うペースがあるのに、いい悪いで評価されてしまう。

世間から評価されること、多くの人から認めてもらうことを大切にしてしまい、

自分のペースを失ってしまう。

ペースは人それぞれ

早くなんでも行動することが好きな人もいれば、

ゆっくり時間をかけて、成し遂げることが好きな人

自分と対話することが好きな人、外との関わりが好きな人

いろんな人がいて、いいはずなのに、なぜかあるべき姿を思い描いてしまう。

それによって苦しむことはあっても、そもそもの自分のペースとあっていないので、

長続きしないし、自分をすり減らしてしまう。

休みなく動ける人もいれば、回復するのに時間をたくさん要する人もいる。

自分だけのペース

自分のペースを貫くことには、ある種勇気が必要かもしれない。

みんなが楽しんでいることに興味を持てなかったり、自分だけ苦しい思いをしたり。

そこから、離れるのもエネルギーがいるかもしれない。

自分には体力がないから、楽しめないとか、社交的じゃないから楽しめないと

思った時期もあってけど、実は違っていて。自分なりの楽しみ方を創り出さなきゃいけない。

エネルギーは無限にあるのではなく、限界がある。

使いすぎると、エネルギー切れになり全く動けなくなってしまう。

その回復にもうんと時間がかかってしまう。

だからと言って楽しむことを諦めるのではなく、

自分だけのエネルギーの使い方をマスターすること。人混みを避けるようにしたり、

楽しいことの前には、自分の好きなことをしてエネルギーをあらかじめ補充しておく。

楽しくないなら、離れる。

自分を守りながら、楽しむ術を徐々に見つけることができたら、

とっても幸せだと思う。

いい、悪いではない

人と関わることが好きな人、苦手な人

いろんなタイプがあるけど、どれもいい悪いは一切なく、ただ、違うだけ

「こうした方がいいだろうな」、「こうあるべきだな」と自分に言い聞かせて、

振る舞うのではなく、ただ、他の人と違うだけ。

どちらが正解でもないし、不正解でもない。

どっちでもOK

いかに、自分が心地よい環境を自分の力で創り出すことができるか。

他の人は創ってくれない。

自分で創り出すしかない。

嫌なら離れる。好きならもっと好きになる。

その繰り返しが、自分が輝ける環境を導いてくれる。

自分で自分が輝ける環境を作り出してしまえば、誰に合わせることもなく、

自分だけのペースで進むことができる。

逆にその環境を作り出せないと、成し遂げたい何かをいつまでたっても夢のままで終わってしまうかもしれない。

でも大丈夫、願って流れに身を任せれば必ず叶うから。

内側のエネルギーを溢れさす

好きなことに囲まれれば囲まれるほど、

自分の内側のエネルギーが高まっていき、かけがいのない経験をすることができる。

いろんなことに気を使って無駄遣いするのではなく、

高めて高めて、自分のためだけにつかう。それがいつか大きな形になって、

たくさんの人の幸せを実現することになるから。

誰かのために気を使うことは素敵なことだけど、無駄遣いはダメ。

本当に大切な人のために取っておいてほしい。

まずは、自分を幸せで溢れさせる。そのあとにベクトルを変えるだけで

今までよりももっとたくさんの幸せを分かち合えることができるから。

本来の居場所

自分の居場所はどこ?

自分が一番快適に過ごせる環境ってどんなところだろう。

自宅?職場?趣味の場所?

どんな人がいるところ?

空気感はどんな感じ?

音は?明るさは?環境は?

環境による違い

自分が置かれた環境によって、自分自身は大きく変化する。

自分にとって快適な場所であれば、のびのびと生き生きして活動できるし、

そうでなければ、自分自身をすり減らしながらいきていくことになる。

同じ場所であっても、ある人にとってはこれ以上にない環境かもしれないし、

誰から見ても恵まれている環境にあるかもしれない。

でも、そんなことはどうでもいい。

自分自身が好きなのか。快適なのか。

のびのびしているのか。

自分と人は違うことを認めて、快適を追い求めていかないと、

心はポッキリと折れてしまう。

環境を変えることの恐怖や、勇気が最初はいるかもしれない。

少しづつでもいいから、今とは違う環境に足を運んでみる。

それは、山でもいいし、ジムでもいいし、図書館でもいいし、

自分の好きがある空間。

時には、誰かに連れ出してもらう必要があるかもしれない。

自分では、なかなか行かないような空間には、誰かに連れ出してもらう。

環境が変わると、人ってあっという間に変わっていく。

一番は表情が違う。

死んだ魚のような顔をして、顔色が悪い状況であっても

環境変えるだけで変わってしまう。

環境を変えることには、多くの止める言葉が聞こえてくる。

そのままでいいのか。逃げるのか。

環境を変えても何も変わらない。今のまま変わっても同じことの繰り返し。

確かに、そうなのかもしれない。

その人はそうだったのかもしれない。

でも、自分は違う。あなたは違う。

必ず変わることができる。

環境が人を育てるってことは必ずある。

好きな場所の見つけ方

これは、いまだに自分でもわかってないけど

とりあえず、自分が少しでも好きだなと思うことをひたすらやり続ける!

なんだっていい。それが、ゲームでも、音楽を聴くことでも、

映画を見ることでも、走ることでも、本を読むことでも。

好きで自分を満たしていくうちに、自然と見つかっていくんだと思う。

今は、その途中。

嫌なことはしない。

少しでも気が向かないことは断る。

かけがえのない自分の人生。その少しの時間も

嫌なことに使わない。ことを決める。

ただそれだけで、あとは自動的に変わっていく。

居心地の良さ

居心地は、いいままだと抜けられなくなってしまう。

その場所が自分に何をもたらしてくれるのか。

学ぶことが何もなく、ただ時間を消費するような空間なのか。

それなら、その場から離れる決断も必要になってくる。

痛みを引き受けて。

ちょっと痛いだけで、自分の人生が変わるならお安いもん。

その場から抜けだそうよ。

えいやって。

そしたら、最高に楽しい毎日が踊り出す!

居心地には甘えずに、自分だけの場所を見つけるために少しずつ、

ほんのちょっとだけ昨日の自分を超えていく。

焦りは禁物。自分を飛び越して行ったらダメ。

ゆるっと、ふわっと、自分を超えていくだけ。

ゆるっと、ふわっと、えいやって!

痛みを引き受ける

痛みは少ないけど、思い描いた世界と何か違うと思いながら一生を終えるのと、

痛みは多いけど、思い描いた通りの世界を満喫しながら一生を終えるのと。

どちらがいいでもないし、悪いでもない。

自分の意見を隠し持ったまま、人に従っていきていくのも一つの選択。

自分の意見を前面に押し出して、私はこうだ。私はこれだ。と主張して生きていくのも一つの選択

その中間を探して、バランスよく生きていくのも一つの選択。

たまに、あの人は自分の言いたいことばかり言って、わがままだとか聞くことがあるけど、

その人は、主張することによる反発も、様々な意見もすべてひっくるめて、

引き受ける覚悟があるのかもしれない。

そう考えると、その人のエネルギーは凄まじいと思うし、

文句を言うだけでは、止まることはないんだろう。

自分の信じたことを世界にぶつけて、評価を受けて、時には批判を受けながらも

目指す世界を作り出していく。

自分の思っていることが正しいのか、向かっている方向が正しいのか。

そんな不安に陥りながらも進むことができる力って本当にすごいと思う。

自分が思い描いた世界で、世の中をどう変えていくか。ワクワクした世界、

華やかな世界、心地よい世界などなど。

今までの自分だと、レールから外れることをビビっていたと思うし、

それは、よくないことだと信じてきた。

本を読むこと

自分が何も知らないと自覚すること、この人には叶わないと思えること、

それをしれたことは大きな発見になった。

一番の衝撃は、読書量が圧倒的に違いすぎたこと。

今までに、そこまで本を読んでいる人に出会ったことがなかった。しかも同世代で。

積み上げられたほんの数々。今まで読んだことがないようなジャンル、見たことないような冊数。

今の自分では、一生この人には叶わないと思う本当に衝撃に近い出来事だった。

どんなことを語っていても、どんなことをしていても自由なんだけど、

重みが違いすぎた。

これだけ、すごいと思った人が、これだけたくさんの本を読み、自分と向き合い、

新しい可能性のために、時間を惜しまずに投資できるその姿に、畏敬の念を抱いた。

本を読んだ数が多いから、少ないからと言っていい悪いでもないし、一概にすごいとも言えない。

それでも、あの衝撃は自分を大きく変える出来事になった。

読んだ数だけ、いろんな考え方と出会い、それを自分位置き換えて自問自答する。

一冊読んでももしかすると引っかかるものがないかもしれない。

1,500円から2,000円払っても何も学びがないかもしれない。

自分の状況や、置かれている環境、様々な要因があってその時の自分には関係ないと思うことでも、時間が経ってからつまらないと思っていた本を読み返してみると、

衝撃的な一文に出会えたり、その後の人生を左右するような一文に出会えるかもしれない。

そのような、一種の巡り合わせがあるだけでも、本を読む楽しさがある。

時には、今の自分の考え方や、自分を支えてくれるような一文に出会えるかもしれない。

悩んで、困って、どうしようもなくなっても、本はいつでも支えてくれる。

今まで、怖いと思っていたこと、あと一歩の勇気を出せないことでも、

新しい世界を感じると、心が勝手に動き出してしまう。

ただ、ほんの少しその世界を知らないだけで、自分の経験や、環境、人からのアドバイスに左右され流のではなく、

少しだけその世界を本を通して覗き見してみると、自分にもできそうなワクワク感が止まらなくなってくる。

痛み

本を読むと言うことは、もしかすると友達との約束を断って時間を作ることになるかもしれない。

そこには、誘いを断る痛みを伴う。

もしかしたら、次は誘ってもらえないかもしれない。

ノリが悪い奴と思われるかもしれない。

SNSで楽しそうなみんなの姿を見て、自分は何やってるんだろうって思うかもしれない。

安心して、必ずそう思われるから。

最初は、痛い。とっても痛い。

痛い分、大きな収穫も必ずある。それは、1年後かもしれないし、10年後かもしれない。

それは、初めて見ないと誰にもわからない。ある人は1ヶ月かもしれない。

収穫のタイミングは人それぞれで、自分が求めている世界や、規模や、価値観によって

大きなタイムラグがある。

時間をかければかけるほど、あなただけの世界が培われていき、今まで感じたことないような、

新しい世界をみることができる。

タイミングが違ってもいい。あなたと、他の人は違うんだから。

自分だけの大きな収穫を掴み取るまで淡々と続けていく。ただそれだけ。

どれだけ、不安になっても本の中には必ず助けてくれる存在があるから。

大切な人との出会いから、本の大切さを知ることができて自分の人生は本当に変わった。

本当にありがとう。