時間というなのボーナス

ニートは時間というボーナスタイムが大幅に付与される。笑

幼少期以降は、何もない1日ってない気がする。

幼稚園や保育園に通い、みんなと遊んだりする

小学校から高校までは、平日は学校があり土日はある人は部活がある

大学や専門学校では、同じく平日は学校があり土日はアルバイトや部活がある

そのまま就職した人、卒業してから就職してからは、おおよそ週休二日で仕事がある。

振り返ってみると、一日中自由に時間を使えて、かつ平日も休日も関係がないってことを経験してきていない。

教育課程の中で、平日と呼ばれている5日間は必ず学校があり、

休日と呼ばれる土日祝は学校はない。

それが生まれてきてから、約20代半ばまで続いているので、

必然的に、仕事でも同じような日程で運営されていることに特に疑問を抱くことはなかった。

職種によっては変わってくると思うが、多くの人が平日は働き、休日は日頃働いている分休んだり、リフレッシュに充てている。

今までは、仕事をしていたので平日に出かけると言うことはなかった。仕事を辞めて平日に行動してみると道も空いていて、お店は混雑していなくて、とても静かである。

対して休日はご存知の通り、道は混んでいるは、渋滞でイライラして運転が荒くなるは、お店は混雑しているは、、、

別に、小さい頃から休日に出かけることはあったしどれだけ混雑していようが、関係はなかった。混んでるなーくらい。

どこへいくにも、時間がかかり、人が多くてストレスがたまる。土日祝がおやすみであるメリットは誰にあるんだろう。確かに、セールが開催されたり、期間限定商品があったり、休日ならではのイベントごとは開催しやすくなると思う。集客という意味では、休日はなくてはならない存在だ。

だけど、同じことを時間も少なく、ストレスもなく、快適に過ごすという意味では、土日祝日の休日は多くの人にとって意味はあるのかな。。

これだけたくさんの人が、休日を利用して各地に出かけたり買い物を楽しんでいるけど、その人たちが失っている時間はどれほどになるだろう。失っているという表現は、その時間自体が楽しいものであれば正しい表現ではないだろうけど、失っていると同じだと思う。

今までの自分はいろんなことを時間がないからできないとずっと思っていた。したいんだけど、時間がないんだよねーって。

自分の普段の生活を一つ一つ書きだしたり、表を作ったりしてみるとびっくりするくらいに時間がある。1日だけでも何時間でも本来は生み出せる時間なのに、消費してしまっている。もちろん、土日祝日の移動もしかり。道が混んでいなければ、2時間で行ける行程を3時間も4時間もかけてしまっている。

そこから到着して、遊んで、帰る頃にはヘトヘトである。

そして、日曜日が来て仕事か。。。ってなるのはどうもおかしい。

仕事をしているときは、こんなことを考えたこともなかったけど、ふと落ち着いて考えてみたら不思議なことだよなーっと。

だからと言って、急に仕事を辞めて自由になったりすることはいいこととは言えないけど、当たり前のことではないよなーって。

時間は死ぬまでしかない。いつ死ぬかもわからない。そんなときに、自分の時間は渋滞や、混雑していることに使うのか。

それとも、一歩抜け出してなにか別のことに使えるのか。

自分はどっちがいいかなー。

嫌いという感情

嫌いという感情を捨ててしまうと、1日が長くなった。

嫌いなことを考えている時間は、何も生み出さない代わりに自分自身のエネルギーをとっっっっても奪い去ってしまう。

時間はみんな平等に、1日24時間365日与えられているのに、その貴重な時間をマイナスなことに使ってしまっていては、人生なんなんだろうってなっちゃいそう。。

嫌いなことでも、ものでも、人でも、なんでも。

感情を押し殺して、嫌いな感情をなかったことにするのとは違って、

はい、これ、嫌い。以上

それだけでいい気がする。上だったら1秒くらいで終わり。

これが嫌い、なんでこれはこうなんだー、こうじゃないんだー、

しかもこれってこうだから、こんなこともあったなー、、、

一度出てくれば、とめどなく出てくるこの感情はなんなんだろうと思ってしまうほど、マイナスの感情は丁寧に扱わないと、大量放出されてしまう。

この思考がぐるぐるぐるぐるずっと自分を縛ってくるものだから、困ったもの。

はい、これ、嫌い。以上

って考えてみるようになってからは、1日ってこんなに時間あるんだなーって身をもって実感すると同時に、自分はいままでこんなにたくさんの時間を楽しいことやワクワクすることではなくて、嫌いなことばかりを考えていたんだなって振り返るとゾッとする。

嫌いって感情を押し殺すのではなく、自分がそう思っていることはちゃんとキャッチするけど深追いはしない。はいオッケーって流してあげる。その後に、好きなことや楽しいことを思い浮かべてみる。

嫌いをポイっと。

自分の周りにいる人が、嫌いな感情に囚われていて

その感情を発散するために、愚痴やそういう話をされるときは自分自身にもなにか同じようなことあるのかもしれない。

そのまま、話に付き合ってもいいし、そっと離れていくことも自由。あとはその人自身の生き方の問題。自分の命をどう扱うか。

思いつき

自分の意見をいうことはわがままだと思っていた。

こうしたいと思うのはわがままだと思っていた。

小さい頃に、自分の意見をいうこと

こうしたいを出すことによって煙たがられた。

今考えれば、伝え方がわるかったり、相手のことを考えずに発言してしまっていた。

だけど、意見を考えること、こうしたいをずっとよくないことだと頭で考え続けていると、大人になったときに出てこなくなる。

一つの物事に対して、思うことがなくなってしまう。

こう言ったら、こう思われるんじゃないか、

あんまり気乗りがしなくても、まぁいいやと流してしまう

そのまま、自分を失ってしまう。

なにか、意見あると聞かれてもない。としか答えられない。

どうでもいいと思うことが増えていく。

人に判断を投げてしまえば楽ではあるけど、

自分で納得して選んでいくのと、人の選択を受け入れていく人生だったら、

心の健康度合いは大きく変わってくる。

目先の楽を優先して、他人の選択を受け入れることは将来的には必ず自分自身を苦しめることになる。自分で選んでないからどうでもいいやって感情が生まれてしまう。

その瞬間は苦しくても、自分自身で何が必要なのか考えてみて自分だけが納得できるように選択をしていく。

そこから逃げている限り、人生は好転しない気がする。

と、身をもって感じた。

思いつき

だれかよりも

誰かよりも頑張ることは努力とはいわない。

昨日の自分よりもよくなるようにすること。

それをどんな時でも続けていくこと。

人が10がんばってても同じことを10しても同じ結果は出ない。

人が右に10がんばっているときに、上に1でもいくことができればそれも努力になる。

人の指標で努力すると自分自身でもよくわからない方向にいってしまう。

誰かの成功法則も勉強にはなるけど、自分自身に役立てるためには同じことをするよりも、自分なりに噛み砕いてオリジナルに変換していくこと。

たまたま、早起きした

普段は、8時間以上寝ていないとどこか調子が悪いように感じたり、眠気が取れなかったりするけど、今日の目覚めはすっきり。

考えられる理由は、

1、食事にスムージーをプラスした

2、23時には就寝した

3、適度な運動をした

4、リラックスできる空間を作った。

1、食事にスムージーをプラス

今までは、ほっと○っとでの食事が圧倒的に多かった。。

最近は自炊するようになって、意識的に野菜を取るようにしてはいたけど、量としては少なかった。そこで、スムージーを作ってみたらこれがまたいい感じ。バナナ、小松菜、りんご、豆乳を投入して混ぜるだけ。あら簡単。

正直普段の食生活で、野菜の栄養素を少しでも残すように調理したりするのって、気軽にできることではない。以前はサプリメントも多用していて、プロテインも、HMBも、BCAA、デキストリン、パンプ系、クレアチン、亜鉛などなど、一通りは試してきた。一時的には体力も筋力もアップするけど、お腹を壊したり、血圧の乱高下があるからだるさが残ったりしていた。各成分の効果で、疲れが取れているように感じるけど身体自体は疲れが蓄積されているので、どこかのタイミングで限界が来ていた。

サプリメント自体は、否定しない。間違いなく、飲んでいる期間は効果がある。明らかに筋肉や体力のつくスピードが違う。体質の問題もあるけど、自分には合わなかった。その代わり、スムージーを作り始めてからは体調が安定し、お腹の不調も明らかに減った。

人によっては、朝食を食べなかったり、昼は眠たくなるからほんの少ししか食べない方もいる。自分もそうだったが、お腹が空いて気になることも増えていた。

そこで、朝食にスムージー、もしくは昼食にスムージーをプラスすると、適度な満腹感もあり、集中力が続いた。

2、23時には就寝

例えば、同じ8時間睡眠でも0時から8時まで寝るのか

22時から6時まで寝るのか。この就寝時間には大きな違いがある。

人それぞれ、体質が違うので同じようには言えないが、

8時間睡眠とりましょうとか、6時間を切ると身体に良くないとされているが、自分にあった睡眠のタイミングを見つけることが一番だと気付いた。やたらと8時間寝ればいいと考えて、0時ー8時の生活を続けているけどあまり変化がない場合は、23時ー7時、22時ー6時など変えてみると、同じ8時間でも睡眠の質や、翌日の疲れの取れ具合が大きく違ってくるので、ぜひ試してみてください。

3、適度な運動

今までは、無理してなんぼではないけど、身体をとことん追い込むことが運動だと勘違いしていた。追い込んでいないと、運動した気になれなくてそのせいで翌日の疲労感がきつすぎて運動が続かないみたいなことが多かった。ようやく、1日1日極端に追い込むのではなく、3年、5年かけて少しづつ改善していくように心がけて、運動する日程が空いてもまた始めればそれでいいし、やりたくない時は無理にやらなくてもいい。その代わり、完全にやめてしまうのではなく、気付いたときにまた少しやってみる。それを繰り返していれば、完全に挫折してやめてしまう5年間よりも、気付いた時だけでもちょっとずつやってきた5年間であれば大きな違いが出てくる。

最近の筋トレブームで、大きな筋肉を育てることがいいことで、そうじゃなかったら筋トレする理由がないと思っていたが、それも自分の勘違いだと気付いた。少しでも大きくするためならサプリメントにお金を惜しまなかったけど、そうじゃない。

大きな筋肉がいいと思っていたのは、他者からの視線が気になっていたからそれだけだった。少しでもよくみられたい、そんな気持ちがどこかにあった。そんなこんなで、振り返って考えてみたらトレーニングして美しくなりたいんだったなーと。別にトレーニングしなくても生きていけるし、何をしてもしなくても生きていけるけど、自分で整えて美しいと思える身体で生活するのと、そうじゃないのとでは、自分の行動も思考にも影響してくる。どうせ生きるなら美しい身体と心で生きた方が幸せな気持ちがもっと増える。

4、リラックスする空間

落ち着く空間って、こんなに疲労感や気持ちに大きな変化をもたらすって考えていなかった。なんとなく過ごしているだけでは、リラックスできてなくて疲れが溜まったままだったり、気持ちのリセットができなかったりする。そうすると、翌日のパフォーマンスにも影響するし、気分が乗らないことが原因で、自分自身の夢を追いかける時の気力や、体力を失ってしまう。

元気が有り余っている人は気にすることはないかもしれないけど、年齢に関係なく、何かを追いかけたりする時は元気な時こそいかに丁寧に無理をしないように気をつけて行動し続けられるか。一時的にどわっと頑張って潰れても誰も助けてくれないから。周りが早くても、遅くても、自分のペースで淡々と続けられるか。

どうやったら、自分が一番リラックスできるかなんてあまり考える機会はないけど、潰れてしまう前に見つけておくといろんな場面で自分で自分を救うことができると思う。むしろ、潰れかけで見つけることはほぼできないから。

がんばるためには

何かをするときや、人生をかけて何かをしようと考えたときに

今までは、自分のやりたいことを成し遂げるためだけだとか、自分の人生自分のやりたいようにやらなきゃダメだ!自分の人生を生きろって言葉の解釈は、自分の欲望を満たすことだとずっと思っていた。

けど、どうも違うような気がしてきた。

自分のためだけに頑張るのは限界があった。得するのも自分だし、損するのも自分だし。自分のためだけだったら、そこまでして幸福を求めたいと自分は思えなかった。

自分が心から大切に想う人がいて、それが家族なのか、友達なのか、愛する人なのか。それは人それぞれ違うと思うけどそのためにだったら、自分のためと考える以上にいろんな壁を乗り越えていける。

一人では決してできないところまで連れていってくれるし、苦しいときに踏ん張る力もうんと増える。

そのためには、自分の周りにいる人には細心の注意を払って、心を許せる人だけに絞る必要がある。要らぬ気遣いをし続けるような関係をほんの少しの勇気を持って、手放していく。手放して、本当に大切な人たちにもっと愛情を持って接していく。

自分のためには頑張るのは限界がある。

誰かのためなら一緒に乗り越えていけるので限界はない。

とっさの出来事

集団にいるなかで、自分にとって必要な行動をできるだろうか。

してもしなくても、なんの問題もない出来事に当事者意識を持って行動できるだろうか。

いやでも考えさせられるようなことが、最近増えている気がする。

お前はそんなんでいいのか?人の評価を気にしないようにしていて、一番気にしているのは自分じゃないか?

知識として、気にしないことは知っていてもそのように行動できているかどうかは

別問題である。

人がしないから、自分もしない。

人がするから、自分もする。

そんなふうに人生を決めてしまっていないか?

人がしなくても、自分はする。

人がしていても、自分はしない。

その中に本来の自分があるんじゃないかな。

いろんなことに妥協して、これくらいでいいやって。

知識を付ければつけるほど、いいこともあるけど動けなくなっている部分もある。

活かす前提、必要に迫られての知識ではないから頭でっかちになって行動に抑制がはしる。

読書が悪いのではなく、本から受け取るべき内容を自分自身で選択を間違えたことが原因。

そんな気づきを与えてくれた友人には心から感謝している。