運命は誰のもの?
「半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は運命が私たちに任せているのも真実である」
著者名:小林 昌平
出版年(第1刷の出版年):2018年5月2日
タイトル:その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
発行所:株式会社 文響社
引用した文章が書かれているページ:位置No.1606
いろんな巡り合わせは、運命の女神様が運んできてくれるけど、
ここぞというタイミングでは、運命に任せずに、自らの意思で大胆に決断することで、
道が拓けていく。
冷静であるがゆえに、タイミングを失ってしまったり決断できなことは多々ある。
たくさんチャンスが巡ってきては、目の前を素通りしていく。
自分にとってそれが必要なのか、肝心なことなのか判断できないから。
人からのアドバイスも、助言もチャンスも、何もかもが、
普段から自分がどれだけ準備しているかどうかにかかってくる。
必要じゃない時に、助言をもらっても自分にとってはなんとも思わないまま
聞き流してしまったり、ないことにしてしまったり。
自分にとって都合が悪いことだと、聞くこと自体をやめてしまったり。
沈んでいる時や、悲しいときは、話をきいてほしいだけで、話を聞きたいと思ってないこともある。
そうならないように?その状況がいやであれば、変われるのは自分もそうだけど、
環境も自分の力で変えることができる。
環境は、多くの運命を変えてくれる。逃げることはダメで、我慢を続けることが美徳とされてきた
学校教育には、背く形になるけど、それが人間らしい選択なんだと思う。
我慢して、いやなことを続けて、従うだけでOKな生き方はたくさんのことを犠牲にすればすることができる。
今まで、学校という環境の中でしか生きてきてない中で、急に変えることがどれだけ難しいことか。
違う環境を知らない。誰も教えてくれない。それしかないと思ってしまうのは当然だと思う。
学校の延長で、社会も同じような仕組みだと思う。
その環境にしか身を置いていないと、どんどん身体が心がその環境に慣れてしまう。
同じような考えの仲間に囲まれ、同じような価値観の集団に囲まれ、
徐々にその環境での居心地が良くなってしまい、時間だけが過ぎていく。
そのままでも、何も問題ないし、それが幸せって考え方もある。
でも、いやなことを我慢しても、身につくものは何もない。
好きなことを楽しさ全力でやっている人からしたら、
我慢する能力なんて、無駄でしかない。
今の環境は自分自身が作り出したものって言われた時に、そんなの違うって思ってる時点で、その環境に浸ってしまっている。
否定の思いが強ければ強いほど、心はもう荒んでいる。
違うなら、自分を変えることも大切だけど、環境を変えてしまえばいい。
環境が変われば、いやでも自分は変わっていく。
自分は変えようとしなくても勝手に変わっていく。
いかに、デフォルトの自分でいられる環境を見つけ出せるかどうか。
苦しいときは、冷静な判断なんてできない。そのせいで思考にいろんな制約がかかるから。
長期間、その場から離れて見て自分を自分である時間を長く作る。
そうすれば、運命の女神様が新しい運をはこんできてくれる。
運命が運ばれてから動くのではなく、いつもと違う行動をした後に
新しい運が運ばれてくる。そのときには、自分が変わっているので今までどれだけ難しかったことでも、いとも簡単に成し遂げられてしまう。
環境を大きく変えた後に、冷静になって考えるくらいでいいと思う。
他の人からすれば、大胆な行動に見えるかもしれないけれども、
強制的に、冷静になる時間を作って、自分のために生きる。
たった一人でも、自分のことをわかってくれる人がいるなら、
それだけで幸せなんだから。
自由に生きていける環境が整っている。
そのことを知って、運命は私たちに任されているなら、
あとは、好きなことを選ぶだけ。
好きなことがなくてもいい。
あったら、ラッキー。
ないなら、新しい環境を常に探しながら、
新しい運が運ばれてくることを気長に待つだけ。