ひとりのじかん

ひとりの時間を過ごしている時に、ふと今まで過ごしてきたことや、将来のことについて考えてしまう。

今生きていて、それだけで幸せなことなのに

違うことに心を囚われてしまう。

過去を振り返ることも大切だし、将来のことについて考えることも必要なこと。

立ち止まってみて、今の自分が何を感じて

何に感動して、何を嬉しいと思うか。

意識して今を生きないと、本来の自分を見失ってしまう。社会で生きていく以上、何かしらの人と常に関わりながら生きている。

その中で、今を丁寧に生きている人はどれだけいるんだろう。誰かに流されたり、自分の本音とは違うことをしてしまったり、言ってしまったり。

本音で生きることは、時に人を傷つける。本音で生きることはいいことだと信じてきたけど、自分の本音が誰かを傷つけることがあるってことを理解していないと、傷つけることに悩んでしまう。傷つけたくないから、また過去の自分に戻って誰かの意見に従ってしまう。

でも、それを乗り越えて誰かを傷つけることになったとしても、そんな自分であることを許してあげるためには、悩んで時には苦しい思いをしながらも続けていくこと。

大切な人と離れることもあるかもしれないし、人間関係が壊れることもあるかもしれない。自分の変化についていけずに戸惑うかもしれない。

そうやって乗り越えた先に、また新しい出会いがあって縁が生まれていく。

自分の変化は捉えづらい部分があるけど、一番は周りにいる人の変化が分かりやすい。同じ人と同じ関係をずっと続けるのも美しいかもしれないけど、それはある意味自分自身が変化していない証拠。

自分も相手も変わらないような関係性ではなく、自分も相手も変化して、その時その時に必要な時間や関係を構築できればいい。

嬉しさも幸せも全部受け取る。その途中に起こる出来事も全部受け取る。

久々の体調不良

半年ぶりくらいの体調悪化。

最近は調子良く、元気に過ごしていると思っていたけどここにきて、ウイルス性の胃腸炎。。。

体調崩してみて思うことは、いかに健康であるだけで毎日が幸せであるということに気づくことができる。

体調悪くなると、楽しいことを楽しめなくなるしせっかくのチャンスを逃してしまう。自分自身が、どれだけ気をつけて普段の生活をできるかどうかに関わってくる。

あとは、自分の疲れ具合を正確に把握すること。自分の中では元気だと思っていても身体は疲れが溜まっていて。身体の声を聞いてあげないと、体調不良が長引いたり、普段はかからないような病気にかかったりしてしまう。

環境の変化や、ささいなストレスなど知らず知らずのうちに溜まっていて、気づいた時には手遅れってことが多いような気がする。

知らず知らずのうちに疲れていて、判断が鈍って後悔するような選択をしてしまったり、できるはずのことができなくなってしまう。

常に、動きまわりたくなるような気持ちをほんの少し抑えて自分の身体や心の声を聞いてみる。

そうすると、

普段健康に過ごせているだけでもどれだけ幸せなことなのかを知ることができる。

ゆっくり、休めてあげよう。

実家からの帰り道

実家に1日以上帰ったのは何年ぶりだろう。

大学進学を機に地元を離れて約10年。

実家でゆっくり過ごせなくなったのはなんでだったのか。

自分の中で、落ち着いて考えて気を遣わずに自由に過ごせるのは一人でいることだと思っていた。何にも縛られず、ただ自分の好きなことをできる状態。

何もしていない時間に対して(テレビを見たり、ただごろごろすること)特になんとも思っていないと思ってた。

でも、今回実家で過ごしてみてどうも何もしないことを恐れている。この時間に何か意味を付け加えようとして、本を読んでみたり、携帯を触ってみたり、はしったり、トレーニングしたり。

好きでやっているつもりだったけど、どうも心の中の何かを埋めたい。そんな心理が働いていることに気づくことができた。

やればやるほど、充実感とともにどこかにできる心のすきま。家族からの愛を素直に受け取ることができず、天邪鬼に対応してしまう。そんな自分が恥ずかしくて素直に感謝の気持ちを伝えたいのに。できない自分が嫌になって。家族も含めてたくさんの人から愛されていて、幸せな自分が簡単に幸せになってはいけないとまだどこかで思っているのかもしれない。

少しずつではあるけど、自分にいろんなことを許してきて。そう思っていた時間が長かったからもう少し時間がかかるのかもしれない。表面的には一時的には変わっても根本的な部分はもう少し。今の感情から逃げることなく、立ち向かう。いろいろ書きながら思うことは、

どこかに、寂しいという気持ちが潜んでいるということ。

本当はみんなと一緒にいたい。たくさん愛されたい。愛されている実感、変に取り繕うことなく自分が自分のままでいいという安心感を一番求めている。

ここに、帰ってきていいんだよって感覚。どんなに無様でも、打ちのめされても、何かをしても、しなくてもどんな自分であっても受け入れてもらえて、包み込んでもらえるそんな感覚。

いろんなことがあって、自分の中でまだまだ整理できなくて。

今までなら答えを出さずにそのままにしてたけど、今の自分が出す答えを受け入れて時期が来ればまた考えればいい。

そんなことを考えながら帰りの電車で泣くことはこの先はないだろう。電車にはたくさんの人がいるけど、一人で考えるには寂しさも少し紛らわせていいのかもしれない。

ひさびさに正月のんびり

お正月に実家に帰ってのんびりしているのは、

いつぶりだろう。

今までずっと、実家にゆっくり帰ることを

避けてきたというか、

居心地が悪かったけど、今年は落ち着いたのかな?

自分のやりたいことが徐々に決まってきたからかな?

自分の居場所が決まってきたからかな?

家族の存在について考えて、

今まで知らなかった家族の構成や、祖先の話とか。

今の歳になってもまだまだ知らないことってたくさんあるんだなーって。

今のタイミングで知ったことにも意味があるんだろうし、

今完全に自由の状態になって、これからの家族のことも考えるきっかけになったかなー。

親は親の人生があって、自分は自分の人生があって。

新しい生き方をしていいことを自分自身に許してあげること。

親戚の集まり

親戚の集まりってなんなんだろう。

ひさびさに会って、近況を話して。

年末年始の過ごし方って、人それぞれだし、

たぶん、仕事を続けていたらこの年末はゆっくり過ごすために、自分を回復させるために

そんな時間に当ててたのかもしれない。

でも、たくさん休んで自分の時間をしっかり保っていて、

そうなってくると、毎日に同じだけ意味があって、特別な日もなければ、特別な時間もない。

誕生日でも、クリスマスでも、お正月でも、何もない日でも、同じように過ごす。

特別な日を作り出すのではなく、同じように淡々と過ごしていく。

その先に、何を見つめているのか。

周りに流されることなく、自分の道はどこなのか。

2019年

夏ぶりに、実家に帰省。

久しぶりに、電車に揺られながら帰ってきた。

今までの実家に帰ってくるときは、

落ち着けなくて、帰るのが嫌だった時もあるけど、

今回は落ち着いて帰ることができた。

電車で落ち着いて考えることができたから?

新しい心境になったから?

自分の考え方が変わったから?

まだ、整理できてないし納得がいく回答が見つかったわけではないけど、

今の変化を受け入れてみよう。

仕事を辞めて、時間が経って

少しづつ帰るのが怖かった時期もあった。

無職である自分、仕事を探していない状態の自分、

いい自分であろうとしていた自分がいたから、

返りにくかったのかな?

何もしていない自分を受け入れてもらえるかわからなくて、

でも、そんなことは自分の思い込みだった。

病気で辞めたわけではない、自分の都合。

耐えきれなかったといえば、耐えきれなかった。

我慢?しようと思えばできたかもしれない。

そう思うと、あの時自分の弱わさを受け入れて

弱くていいじゃないと自分を許すことができて

よかったなーと思う。

2019年が終わって。2020年が始まって

何しても苦しかったし、何しなくても苦しかった。

けど、そんな期間があったからこそ今の自分があって、

これからの自分がある。

少しづつ、新しい自分との向き合い方を

掴んでいく。

まだまだ時間がかかってもいいから。

今までの自分。

何かを取り繕った自分ではなく、

何かあっても、自分の責任においてどんなことにもチャレンジできる、

心を失わない。迷っても自分自身で決めることができる、

しなやかな身体と心で、どんなことにも立ち向かっていく。

今までの自分の中の正解に囚われない

新しい自分との出会いは、驚きもあり、喜びもあり、

時に苦しさを伴うこともある。

今まで、自分が生きてきた中で培ってきたはずの様々な選択も

新しい自分に変わった瞬間に今までの自分の中での常識は一瞬にして

非常識に変わってしまう。

それまで、いい意味で自分を縛ってきたもの、支えてきたもの、

信じてきた道も、今までの自分にとって正解なのであって、

新しい自分からしたら、古いもの、縛られているもの、

その時は、自分を支えるために、生きていくために必要だったもの。

その変化が大きすぎると、自分自身がわからなくなり、

今までの自分がなんだったのか。それまで一生懸命に培ってきたものが

なんだったのか。焦りや不安、衝撃に駆られてしまう。

目を背けたいし、たくさん苦しいし、考えたくないと思ってしまう。

今までなら、その違和感に蓋をして、考えないようにして、

苦しみから逃れるように生きていたかもしれない。

少しづつだけど、そうじゃない、

苦しみから逃げることも必要かもしれないけど、グッと堪えて

向き合う準備をこれまでしてきた。

それは、一人ではできなかったことだし、たくさんの人の支えがあってできたこと。

新しい自分を受け入れるのは思ったよりも時間がかかったし、

苦しさも伴ったし、具合もたくさん悪くなった。

だけど、その先の変化を自然と恐れなくなった。

今の自分を守るために、変化することから逃げて、現状のままありたいと思う気持ちを

受け入れ切れず、現状に引っ張られている自分に気づけないままになるところだった。

今までは、短絡的に考えてすぐに答えを出すことを望んで、

自分の気持ちに蓋をして、嫌な気持ちや悲しい感情から逃れることに必死だった。

自分がこんな気持ちになるってことが、今まで考えないようにしてきたことが、

こんなにも自分自身が醜い考えをしてしまうことを恥じた。

そんなことを考えてしまう自分は人間としてできていないと考えてきたからこそ、

今回のこの変化は、辛すぎた。出てくるは、出てくるは。

嫌な気持ちも醜い感情も。

これでもかってくら出てくるんだもん。いいことだけを考えようとか、

いつもポジティブにしなきゃいけないとずっと思い込んでいた。

いい子であることがいいことなんだとずっと信じてきた。

たくさんの本に、出会ってきた。

ありのままの自分でいいという言葉にたくさんであってきた。

でも、どうしてもその言葉をそのまま受け取ることができなかった。

心から?納得できなかったから。

本を読むことでたくさんの考え方に出会うことができる。

中には、参考になることをあれば、時間の無駄だったと思うこともある。

本を読まなくても、この感情になれたのかもしれないし、

なれなかったかもしれない。

今は、本を読まないことがなくなったから。

たくさんの、様々な考え方に触れて、なんでもありっていう考え方に行きついて、

だけど、それをまだ実行するに至っていない自分がいて。

考え方だけ先行してしまっている形になっているけど、

それが、これからの自分を形作る根幹になっていくんだろう。

今思っている感情がこれからの自分にどんな影響を与えるのか。

そんなこと、考えたところでわかるわけがない。

今の感情に従って、一つ一つに向き合うからこそ、

後から振り返ってみて、そのことに意味づけをして新しい自分を受け入れられるように

なるんだと思う。

その選択を今までは、自分の心に従ってこなかった。

騙してきた。うやむやにしてきた。

だからこそ、今こうやって向き合うチャンスがあるんだから。

新しい自分への選択を怖がらずに選んでいくこと。

正解か、間違いなんてその時の自分が決めることじゃない。

その時の自分にはわからないことが、あとから待っているから。

選んでダメだったら、選び直せばいいだけじゃん。

それだけのこと。

大事な選択だからこそ他の人には委ねずに、

決断する内容も、理由も、タイミングも、すべて自分の心に従うこと。

他の人の意見が聞きたいと思ったこともあった。

誰かの意見にすがりたいと思う気持ちもあった。

自分だけでは判断できないと思ったこともあった。

だけど、時間がかかってもいい、

たくさん悩んで、考えて、自分にとって心にとって

心地よいことを選ぶこと。

心が散らかっている状態で判断すると、その後にたくさんの苦しみが待っているから、

どんなに苦しくても、心が落ち着くまで深く深く自分自身とたくさん対話して。

大事なことを選ぶんだもん。そりゃ時間かかるさ。

人生の選択なんだから。

それでいいんだよ。早く決断しなきゃって思う自分も手放していく。

人それぞれ、タイミングがあるんだもん。

他の人になんと言われようと、自分のタイミングを信じて。

その間にいろんなことが起こっても、必要だから起こっているだけで、

一つの判断材料が増えていくだけだし、それはそれで自分にとってより良い判断ができるようになるだけ。

全ての出来事が、より良い自分になるために起こることってわかっていても、

本当にこんなこともそうなのかって、

起こっている瞬間に変換できればいいんだろうけど、なかなかそうはういかない笑

そう考えると、まだまだ自分自身は成長の余地が無限大にあるなーって

いつも実感する。

本当に少しずつ、そういった気づきが生まれてきている自分を

嬉しく思うと同時に、ここ2、3年の変化を大きさを実感しながら

ここから、さらなる飛躍になることが目の前に迫ってきていることを

自分自身が認識すること。

ジャブ程度の苦しみで小さな変化に納まっていたことでも

もう違うんだ。大きな変化がきたんだから。

あとは、流れに身を任せて、大きな波に乗っかっちゃうだけーーーーー。

今の自分について

そもそも、自分自身を失ってしまっている。

何が好きで、何を大事に思っていて、

そもそも、自分自身はどんな人間であるのか。

何ができて、何ができなくて、

どんなことに楽しみを見出していて、何をして生きていきたいのか。

今まで、蓋をしてきた部分がドワッと溢れ出していって

なにがなんだか、全くわからなくなってしまう。

自分を苦しめたいわけではないのに、涙が止まらなくなってしまって。

苦しめるために生きているわけではないのに。

何が今の自分をそうさせているのか。

今までの自分はどこにってしまったのか。

それとも、今の状況が新しい自分なのか。

いつの間にか生まれ変わってしまったのか。

新しい自分を受け入れ切れないから、苦しんでいるのか。

今までの自分自身を否定してしまうようで。

それが怖いのか。

今までの自分がよかった、新しい自分が嫌だ。なのか。

変わりたいと思ってこうなっているのか、

自分自身の変化をどのように捉えていいのかが、まだわからない。

今まで、できなかったことができるようになったのか。

今まで当たり前のようにできていたことを見つめ直す時期なのか。

当たり前が気づかないうちに変化してしまって、

自分に注意深くやってきたつもりだったのに、

見落としてしまったのか。

今、こうやって考えていることも、

時間が経てばあの時は苦しかったなーって思えるようになることはわかっている。

どんな意味を自分自身に与えられているのだろう。

苦しい。とっても苦しい。

いろんなことが嫌になるけど、この変化を自分自身でキチンと意味づけをできた時に、

いろんなことが変化することになると思うけど、それはそれで自分にとっては必要なことだと。

前を向いていけるように。

たくさん、考えて自分なりに決断を出した結果がどうであっても

受け入れる覚悟を持って。

こうあるべきという、幻想をとっぱらって

今の自分を自分自身が嫌になったとしても、

受け入れてあげること。

そこから、なにかが少しづつ動いていくはず。

忘年会ってなんだろう

会社員時代は、忘年会を当たり前のようにやっていて、

1年間を振り返ったり、嫌なことを忘れたり、新年もまた頑張りましょう的な意味で

やっていたけど、

会社を辞めて、自由な時間がたくさんできて毎日充実した時間を過ごしていると、

どうして、一年の苦労や、やってきたことを忘れてまで、

新しく頑張ろうとするんだろうって疑問に思った。

それはそれで、楽しい時間なのかもしれないし、

仲が深まったり、新しい出会いがあったりするのかもしれないから、

やること自体は否定しないけど、その時間は自分には必要がないんだなって感じた。

毎年、積み重ねていることを忘れる必要もないし、

新しく仲を深める必要もないし、大人数で騒ぐ時間があったら

一人で、向き合わなければいけないことがまだまだたくさんある。

こうゆう変化や、気づきを得られることへの幸福感が

今こうやってできるようになったことが何よりも幸せだと思う。

あるべき姿へ少しづつ戻っていく。

自分の持つべき運命をまっとうする

自分には、どんな運命が課されているのか。

たくさんの出来事の中で、ひとつひとつ丁寧に拾い上げていかなくてはいけない。

どうして、こんなことになったんだって思うことはいけないことだと

思っていたけど、どうもそうじゃなくていいみたい。

どんなことが起きても、その中から幸福を見つけ出す力にかかってくる。

辛くて、苦しいことは誰にだって起きるかもしれない。

他の人にとっては、なんともないようなことでも、本人にとっては、

苦しくて仕方ないこともある。

それは、人それぞれ大切にしていることが違って、価値観が違って、

他の人が苦しんでいないから、自分も大丈夫と思う必要はない。

自分にとって、その出来事がどんな意味があるのか。

誰にでも、苦しいことや乗り越えることが出てくるなら、

あとは、それをどのように捉えて、自分の中で変換して、

力に変えていけるかどうか。

大きな失敗があることは何にも悪いことではない。

小さな失敗でも、大きな失敗でも、小さな成功でも、大きな成功でも、

どんなことがあっても、その中に気づきを得られるかどうか。

人生全てが一瞬たりとも自分にとって必要な時間。

全てを自分の責任において、まっとうしていく。

いいことも、どんなことも、自分が生み出したもの。

それが嫌なら、自分の責任において変えていければそれでいい。

自分に責任を持たないと、ずっと流されるまま。

いつまで経っても、自分自身が望んでいる世界は見えてこない。

結果として、いろんな思いをすることになっても

それが望む世界への入り口だと信じて突き進んでいれば、

待っているものは素晴らしい世界そのもの。