わかりやすいもの

パッとみてわかるもの

わからないもの

わかるものには惹かれやすい

わからないものは寄せ付けない

なんでも、情報があるから調べればわかることも多いけど

知識なのか、体験なのか

どちらに価値を置くのか

いい悪いもないけれど、それならどちらを選びたいのか

今の調子

情報が残っていないと比較しようがない

過去の自分はどれくらいできて、できなくて

それが今ではこんなふうになっている

変化の幅が大きければ、気づくかもしれないけど

少しづつの変化は見逃してしまいやすい

自分の中で振り返りが出来る、ブログだったりメモだったりはとても役に立つ。

それが、誰かのためになることもあるかもしれない

誰かのために、が最初に来ると変に近rが入ってしまって本来の部分が見えなくなってしまいやすい

あくまでも、自分のため。その結果として誰かのためになるのが一番自然

選んでいるもの

なにを選んでもいいのに、どうしてそれを選んだのか。

選ぶもの、身につけるものはその人の基準を映し出す

綺麗なものなのか、ほっこりするものか、機能性か、デザインか

考えて選んでいるようで、選んでなかったり、

都合よく解釈しやすいように理由を考えているだけで

理由なんて必要ないだろうし

選んだという事実が存在するだけ

となると、その過程は?どうしてそれを選んだのかと聞かれた時

好きだから。

それ以上のことがあるのだろうか

昔の自分

これまでの自分を振り返るためにはその時の情報が必要になる。

定期的ではないし、思いつきをたくさん残してきたけど

時間が経って振り返ってみるとかなり面白い。

その時の自分の心境や、感覚やっていることを見返すことができる。

SNSなどで写真として記憶を残すことも簡単にできる時代だけど

そこを敢えて文字として残すことで温度が伝わってくる。

よく本を読む時期もあれば、何もしない、なにもできなかった時期もあれば、

一気に飛躍していく時期もあれば、生き急いでみたり、なにかに縋ろうとしていたり

いろんな時期があって、今の自分があると思うとこれからが楽しみになる

たくさん時間をかけてきたからこそ、また違った見え方をすることができる。

今、その時に一番いいと思うことを続けること。

相談事は

花

誰に相談する?

いいじゃん、頑張れよって言う人

やりたいか、やりたくないかわからない時は誰に相談してもいい

そして、いや難しいんじゃない?って言われて諦めればいい。

相談している時点で、自分がどうしたいのか決まっている。

諦めたいなら、誰でもいい。

何がなんでもやるなら、相手を選ぶこと

決める基準は?

迷うのは基準がないから

基準が多すぎると、ある部分ではこっち

ある部分ではあっちとばらけてしまう

ときには、基準によって一時的に不利益になることもあるかもしれない

いや、不利益に見えることが起こるかもしれない

その時だけの感情や基準で動くのか

決めたことを貫き通して得られる結果に感動するか

休みも仕事も趣味も

ある意味、ずっと休みだし

ある意味、ずっと趣味だし

ある意味、ずっと仕事をしているのかもしれない

リフレッシュと、仕事が結びついて

遊んだらそれが仕事につながって

同じ仕事をしているはずなのに、どうも元気はつらつな人がいるなーって思っていたけど、

こういうことなのかもしれない

好きじゃない人からすれば、仕事は苦痛の時間やお金のためなのかもしれない

その時間すら、楽しいものに変えられたらそれはそれはずっといい気持ち。

むしろ、大変なことが多いのかもしれない。一歩踏み込むからこそ。

その分、そり超える力も増えるから結果としていい循環が生まれるのだけど。

経験がそのまま価値になる。失敗も全部価値になる。

無敵かもしれん。