効率化の落とし穴:本当に目指すべきゴールはどこ?

まとめ

効率化を追い求める理由は何?

私たちは常に効率的に動く方法を求めています。より短時間で多くのことをこなしたい、そう思うのは自然なことです。しかし、その背景には何があるのでしょうか。社会のプレッシャーや、他人と比べることがその理由かもしれません。効率化を求める理由を掘り下げてみることで、自分が本当に望んでいるものが見えてくるはずです。

効率化を進めすぎると失うもの

効率化は便利ですが、その一方で失うものもあります。たくさんのタスクを効率的にこなすことが、必ずしも自分の幸せにつながるとは限りません。効率化ばかりを追い求めると、創造的な時間や、本当に大切なことを考える時間を失う危険があります。時間管理を考え直すことが、より充実した生活への鍵です。

本当にやりたいこととは?

効率化の先に何を求めているのかを問いかけてみましょう。単に多くのタスクをこなすことではなく、時間をかけてもやりたいことが本当に見つかっていますか?効率ばかりに気を取られるのではなく、時にはゆっくりと時間をかけることが必要です。本当に自分が望むことを見つけるための時間を作り出しましょう。

効率化の最終目的地はどこにある?

効率的に動くことの最終目的地はどこにあるのでしょうか?もしかすると、効率化そのものが目的になってしまい、本来の目標を見失っているのかもしれません。自分のゴールを見据え、効率化がその手段の一つであることを忘れないようにすることが大切です。

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色んな事を効率的にたくさんこなすために、いろんなツールを使ってみたり、いろんな方法を学んでみたり、考えてみたり。

自分自身も今やっていることをどうやったら効率よくやることができるか。短時間にたくさんの物を処理するためにいろいろと考えていた。

だけど、ちょっと待って欲しい。

時間を効率的に使ってまで、たくさんのことを処理するほどにやりたいことって何だろう。

あれもして、これもして、たくさんのことで埋め尽くして。それは本当に自分がしたいことなのかな?

あれもした、これもした、他の人よりもたくさんのことをした。

どうしてもやりたいこと?それ全部やってないとだめなことってあった?

効率化を目的にしてしまうと、やっている感だけがどんどん増えていって空虚な時間だけがどんどん増えていく。

本当にやりたいことって、時間を忘れてしまうほどはまるもので。時間をかければかけるほど納得いく自分なりの作品ができるわけで。効率化してまで、数をこなそうとしていることは実際なくても何の問題もない。

効率ばかり求めているときは、要注意。

本当に、効率化してまでやりたいことなのか

本当に、これが自分の人生を一番長い時間かけて達成したいことなのか

自分の心に向き合うきっかけに使って欲しい。より効率よくいろんなことをやっている人にあこがれる気持ちもすごくわかる。自分もそうなりたいと思う気持ちもすごくわかる。

その向かい先に、自分の理想があってそれを達成することが自分の幸せにつながるのであればそのままわき目を振らずに進んで欲しい。

ただ、ちょっとした違和感や、そうしたほうがいいんじゃないか?自分から出てきた欲ではなくてそうしたほうがいいんじゃないかって気持ちが動いてしまってる場合は止まって欲しい。

外部からつつかれて、動いている自分がそのまま進んでいって得たものはどこか空虚なものになってしまうから。

ここに、じっくりとたくさんの時間をかけて向き合うこと。まっすぐ向き合うことは、いろんな感情が起こるんだけど、その感情も一つ一つ整理していきながら自分の中の本質的な部分に集中する時間を作って欲しい。

何もせずに、ただぼーっとして。

究極の贅沢って何もしないことなのかもしれない。自分のためだけに、自分のための時間をただじっくり味わう。味わうためには自分自身の熟成が必要不可欠になるし、

それが伴っていない状況ではその贅沢を味わえる境地に行くことができない。

と、書きながらも自分自身はあとどれくらいでその境地までたどり着くことができるんだろう。

その途中には、富を手にするときがあって、事業を成功するときがあって、チャレンジを繰り返すときがあって。旅に出てみたり、海外に行ってみたり、そういった人生を送る中で死ぬ前にその境地に達している自分になれているといいな。

究極の「平安」、「凪」

今時点では、そんなことを考えているけどその途中で変わることもあるだろうし

がんがんいこうぜ!って言ってる時も出てくるんだと思う。5年後か、10年後にこのブログを見返した時に、あ、あの時すでに気づくことができてたんだな。ようやく、その境地に自分も少し近づくことができたんだなって思える日が来ることを楽しみにしている。

何物でもない、この自分から出てくる言葉が、何者かになった後の自分を励ましてくれる日が来るかもしれない。あの時はこんなこと考えてたなーって思えることもなんて贅沢なんだろう。

ある種のタイムカプセルみたいな。

いつでも掘り起こせちゃうけど。

何年後かに、本を書いたり大きく成功した時にこんな時の自分もあった。それでも時間をかければこうなれた。そのチャンスを誰かに示すとき、タイミングが揃ったときに意味のあるものになることはどれほど嬉しいんだろう。

この先の積み重ねが、文章に影響して、考えに影響して全く違っていることを言い出すかもしれないけど。それもまた味として刻まれる。

自分のノートに書いて、ずっと取っておいてもいいんだけど

それはそれでやるとしても、あえてインターネットという世界に表現してみて未来の自分にいつでもプレゼントできる形にしておくと、思いもよらないきっかけを過去の自分からもらうことができるかもしれない。

その時の自分にはしっくり来てなくて、未来の自分には届く言葉があるかもしれない。

たくさんのことができる、たくさんのことにアクセスできる、たくさんの情報に触れることができる今の時代だからこそ、自分に触れるものを極端に減らしてみて自分の中から生まれてくるオリジナリティの希少性を磨き続ける。

こんな文章は逆にAIでは絶対に作れないし、支離滅裂な文章から読み取れる何かを手に入れられる人は、情報へのアクセスできる幅がぐっと広がっていく。理解しやすく咀嚼されたものよりも、普通の人が理解しにくいような新しい、小難しいことを取りに行ける人は、この時代がちょっと進んでいったときに、自分なりの強さを発見することができるようになる。

今の時代を活用して、できることをやる時間と。

少し先の未来を想像して先行者利益に目を向けること。次に来るものは何か。を頭の中に少し入れておくだけでアンテナが変化して、得られるものがさらに大きくなるかもしれない。

それが自分の好きなことだったら尚更その先の未来にワクワクして、どんな未来が待っているか楽しみがどんどん増えていく。その楽しみにまっすぐ突き進んで楽しい世界を自分自身が作り出して、そのうちその仲間がちょっとでも増えたのなら嬉しいのかもしれない。

その自分に向かって、今の自分が一歩ずつ向かいたい方向を自分で決めて歩き出してみる。

English versionはこちら

To achieve efficiency and get more done, I’ve tried various tools, learned different methods, and thought deeply about how to do things better.

I’ve constantly been thinking about how I can do what I’m doing more efficiently, how to process more in less time.

But wait a minute.

What is it that I want to accomplish so much that I need to manage my time so efficiently?

Doing this and doing that, filling my life with so many tasks—is that really what I want?

Doing this, doing that, doing more than others—was it something I absolutely needed to do?

When efficiency itself becomes the goal, it only creates more and more empty time where you just feel like you’re doing things without meaning.

The things we truly want to do are the things we can get so lost in that we forget the time. The more time we spend on them, the more we create something that we’re truly satisfied with. There’s no real need to get through a lot of things if they’re not meaningful.

When you find yourself constantly chasing efficiency, it’s a red flag.

Is this really something I want to do so much that I need to make it more efficient?

Is this really the one thing in my life that I want to spend the most time achieving?

I hope you’ll use this as an opportunity to reflect on yourself. I completely understand the feeling of wanting to be like those who manage to get a lot done more efficiently. I understand the desire to become like them.

But if there’s any little discomfort, or if your actions are driven by the feeling that “you should” rather than by your own desires, I encourage you to pause.

If you’re being pushed by external forces, the things you achieve from that might feel hollow in the end.

Take the time to face yourself, truly and deeply. Facing yourself will stir up many emotions, but you’ll need to sort through them one by one and create space to focus on what’s truly important to you.

Do nothing—just sit and be.

Maybe the ultimate luxury is doing nothing. Simply savoring your time, just for yourself, with no other purpose. To savor that luxury, you need to have a certain maturity.

Without that, you won’t be able to experience that luxury fully.

As I write this, I wonder how much longer it will take me to reach that level.

Along the way, there may be moments where I achieve wealth, succeed in business, take on challenges, or embark on travels, perhaps even overseas. But I hope that before I die, I’ll reach that state of calm.

The ultimate “peace,” the ultimate “stillness.”

Right now, that’s what I’m thinking, but I’m sure my thoughts will change along the way. There will be times when I’ll want to push forward aggressively.

Five or ten years from now, when I look back at this blog, I hope I’ll think, “Ah, I realized this even back then,” and that I’ll feel I’ve gotten closer to that level.

Maybe someday, these words, spoken by my current self who is still unshaped, will come back to encourage the more accomplished version of me in the future. What a luxury that would be, to look back and say, “I was thinking this back then.”

A kind of time capsule, in a way.

It’s something I can always dig up whenever I want.

Years from now, if I end up writing a book or achieving big successes, I’ll look back and remember this version of myself. And how rewarding it would be to show someone else that time, and that journey, when the timing is right.

The accumulation of everything I do from here on will influence my writing and thoughts, and I may end up saying things that are completely different. But that too will be part of the journey.

I could just write it down in a notebook and keep it forever, but

Even if I do that, I think it’s worth sharing it in the world of the internet, where it can be a gift to my future self at any time. Past me might give future me an unexpected hint or insight.

The words might not resonate with me right now, but they might touch the heart of my future self.

In this age, where we can do so many things, access so much, and be exposed to endless amounts of information, perhaps reducing what influences us drastically will help refine the originality that arises from within us.

This is the kind of writing that AI could never produce, and those who can find meaning in these seemingly disjointed thoughts will have access to a wider range of insights. People who can seek out new and complex ideas, rather than simply digesting easy-to-understand content, will find their own strengths as they navigate the future.

Use this time to do what you can now.

And keep an eye on the future, looking for that early advantage. What will come next? Just keeping that in mind might change your antenna, allowing you to pick up even greater opportunities.

And if it happens to be something you love, all the better—you’ll feel excited about the future, and that excitement will grow as you continue. Push forward toward that excitement, create a joyful world for yourself, and maybe, just maybe, a few companions will join you along the way.

Toward that version of myself, I’ll take one step at a time in the direction I want to go.