久しぶりに強烈な体験(笑)

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1. 自分と向き合うことの大切さ

最近の穏やかな日常に物足りなさを感じていたけれど、これまで避けてきた本当に向き合うべきことがあったんだと思います。体験を通して、身体にダメージが現れることもあるかもしれませんが、それは自分の中にある「しこり」に気づくチャンスです。この体験を通して、重く抱えていたものを手放し、心を軽くすることができるかもしれません。

2. 自分自身の成長のための機会

ダメージを受けることは滅多にない特別な体験であり、成長のチャンスでもあります。他の雑多なことに気を取られず、本当に向き合うべきことに向き合う準備が整ったからこそ、この出来事が起こったのでしょう。過去の自分では対応できなかったことでも、今の自分だからこそ体験する意味があるのです。

3. 自分を幸せにする選択をする勇気

これまでは、誰かの意図に沿う方法を考えてきたかもしれませんが、今こそ自分が本当にどうしたいのかを明確にする時です。過去の自分だったら嫌がって逃げていたかもしれませんが、今は学んできたことが点と点で繋がり、自分の本当の気持ちに向き合う準備ができています。

4. 恐れを手放し、自分を受け入れる

どこかで自分自身と向き合うことを恐れていたかもしれません。それは、自分が本当に感じていることを知るのが怖かったからです。しかし、小さい頃はもっと素直で、自分自身の強さを信じていたはずです。今は、その時の自分を思い出し、本当の自分に正直になりましょう。

5. 新しい視点で人生を見つめる

過去の選択が今の自分を作ったのだと受け入れることができたら、不快な体験さえも成長の糧となります。快適なだけが人生ではなく、不快の中にこそ本当に大切なことを見つけるチャンスがあるのです。このチャンスを自ら作り出し、成長するためのステップとして活用しましょう。

6. 自分自身の変化が他者にも影響を与える

時に、自分の変化が周囲に影響を与えることもあるでしょう。しかし、それもまた必然であり、必要な気づきをもたらすためのプロセスです。自分の成長が誰かの助けになることもあるのです。この体験から、自分が何を学び、何を必要としているのかを明確にしていきましょう。

まとめ

人生の中で経験する困難や挑戦は、すべてが自分を成長させるための機会です。恐れを手放し、本当の自分と向き合い、前向きな気持ちで変化を受け入れることで、新たな道が開けます。今こそ、自分自身を信じて一歩踏み出す時です。

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最近は比較的に穏やかな日常が続いていたんだけど、物足りなかったんかな笑

ここまで強烈な体験が重なることを体験したかったんだろう。

身体にもダメージ出てるけど、これはこれはしっかりと向き合うべき自分にとって大きな「しこり」が存在するんだろうから、これを感じて体験したらとんでもないくらいに自分自身が重たく抱えていたことを手放すことができるかもしれない。

これほどダメージを受けるということは、滅多にない体験だからすんごいチャンスなんだろうな!他の、雑多なことによってかき消されていて、本当に向き合うべきことからのらりくらりと避けることができていたんだけど、

いい意味で、ちゃんと向き合う自分自身の準備ができたからこそこの出来事が起こっているんだろうから。

ようやく、ここまで来れたことを嬉しく思うし、誇らしく思う。

これまでは必要なかったこと、そして起こしても対応できない自分だったけどそれを自分自身の中に許すことができてステップアップができたからこそそれを自分自身が体験するために今回の出来事を用意してくれたんだろう。

そう、同じようなことは多分これまでも簡単には起こっているんだろうし、その都度消化できていなかったからこそ今回の出来事も自分で作っている。

これまでの自分では同じような現象が起こっているときに、誰かの意図に沿う方法を考え抜いてやってきたけどそれでは自分が快適さを感じないことも十分いわかっている。

これまで避けてきた、自分自身を幸せにする選択を選ぶ。自分が本当にどうしたいのかを明確にするチャンスがきた。いや、ずっときているんだけど、ようやくより一歩踏み込んで考えるチャンスを与えられている。

これまでの自分だったら、嫌がって逃げるけど。

これまで学んできたことがようやく点がつながったからこそ、全てを総動員して自分自身に向き合う。

どこかで、自分自身と向き合うことを嫌がっていたんだと思う。本当の意味を自分自身が知ってしまって傷つくのをどこか恐れていて。そりゃ怖いよね。

ううん、違うよそうじゃないよ!それも違う!ってずっとエゴを使ってコネクリ回してきたことだから。本当の気持ちに向き合って、それが全く今まで思ってきたことと違ってそれを知ることにビビってたんだろう。

小さい頃はそれにも向き合える強さ、素直さ、それ以上に大切なものがわかってたからこそ。どこかのタイミングでこのままでは自分自身が壊れてしまう、いや、他の人を見てなんだこんなことでいいんかって自分をそちらに流してしまっただけ。

それは自分自身がそちらを選んで、楽というよりも何も感じないことを選ぶことにしたから。傷つくことを恐れて、なんとなくいい感じに誤魔化しながらやってきたから。

それからすると、15年くらい?高校生の途中くらいからかな?それから今までそれで生きてきたんだもん。その結果がこれ。それは受け入れよう。

自分にあってない選択を繰り返したけっかがいま。何をどう変えようと、今の自分を作ったのはこれまでの自分。

快適なことばかりが人生じゃない。不快の中にこそチャンスがあって、自分自身の根本にある強い思いを見つけるチャンス。

生半可な体験では、気づくことすらできないようなことだからこそ、このチャンスを自分自身で作り出した。

本当の自分がどう考えていて、何を感じていて体験したいのか。そして、どんな出来事があっても自分自身に大丈夫って言ってあげられる余裕ができたからこそその状況でも頭はどこか好きりしていて、これからもっとシンプルに生きることができるんだっていう喜びを感じることができる。

めっちゃ自分に正直になって、本当の自分がどこか末恐ろしくてえ、そんなところまでいっちゃうの、、、それくらい極端に走りそうなことがなんとなく想像できていて、その波に乗っかろうと、乗るとどこまでも進んでしまってこれまでのいろんなことが変わりすぎることをわかっているからこそ、なんとかそこにとどまることを選んできたんだと思う。

時に、それが誰かを傷つけるようなことがあったとしても必要な気づきと考えればそれはそれで必然なことが起こっただけ。

フェリファブ哲学でも言われているような、森羅万象が求めているからこそ起こる現象。この葛藤さえも、自分自身だけの問題ではなくてこの葛藤があるからこそそのほかで突き動かされる何かがあって、自分のこの変化が誰かの何かに必要だからこそ起こっている。

この体験から今の自分が何を引き出せるか。何を本当に必要としているかが明確になっていく。