本来、人間はどんなことからも自由なのに自分自身でいろんなしがらみをつくっていた。
今の自分を振り返った時に縛られるのが嫌で、いろんなことから離れて自由を手に入れようとしているはずなのに、逆にこうあるべき、こうあらなければいけないと思ってしまい、身動きが取れなくなっていた。
このことは、衝撃的な気づきだった。全ては自分の責任、目の前に起こることは自分自身が選択してきたことだとようやく理解できてきたところだった。
今までは、環境のせいや誰かのせいにしてきてそれではいけないと思い、考えを改めてきたつもりだった。それが、よくよく振り返ってみると自分が一番なりたくないと思っていた思考になっていた。。
今、すでに何事からも自由なのに自分で自分を縛って動けなくして、現状のままを見て見ぬふりようしようとしていた。場所や時間、周りの環境を変えてその都度自分と向き合ってふとその気づきを得ることができた。
今は、仕事をしていないので1日の全てが自分の時間としてある。何かをすることも、何もしないことも全てが自分の思い通りになるはずだ。そんな状況にもかかわらず、今までの自分の中の理想や、妄想に囚われてしまっていた。たくさん時間をかけて自分と向かい合って問いかけてきたつもりだったけど、また振り出しに戻った気分だった。
一見、堂々巡りのように感じるけどたくさん、たくさんぐるぐる回ることは昔はいけないことで、なんの変化も成長もないと考えてきたけど、
ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる回っていたら回っている場所から遠心力でポイって外に出れるんじゃないかなー。中途半端にぐるぐるするからずっとその考え方や価値観から抜け出せなくて。極端にぐるぐるしてしまえばまた新しい世界まで飛んでいける。考えれば考えるほどその瞬間は負荷がかかるし、苦しいし、もやもやイライラすることもあるけど、そのぶんたくさん勢いづいてぴょーーーーんって飛んでいける。
環境や、人間関係の縛りから外れたら最後の最後に残っていたのは自分自身の縛りだった。
あと少し。もうここまでこれたんだから。
今は、どれだけ時間がかかっても一日中自分のことだけを考えることができる幸せな環境にいる。だからこそ、たくさんのことに感謝しながら、丁寧に自分の時間を生きていく。
全てのことに当たり前はないし、どれも奇跡的なことの連続である反面、すべてを当たり前のことだと思うことによって、当たり前を疑って新しい発見を得ることもできる。
当たり前じゃないことを感謝しながら生きるのもよし、当たり前に思った後に、もう一度疑って見て本質までたどり着くまで考えるのもよし。
どちらにしても、どちらを選んでも、自由。
そのことを心に留めて、もう一度自分と会話してみようとおもう。