その選択は仕上がりに影響するのか

ものを選ぶときに、よく考えることがある。

こだわるポイントは人それぞれで、

スペックにこだわることもあれば、環境のことを考えてたり、コストパフォーマンスを考えたり。

これまで、自分自身もいろんな選択をしてきたが選択をしてきた結果が長く残っているのは

スペックやコストパフォーマンスで選ぶものよりも、単純にかっこいいと思ってきたもの。

いまや、SNSやブログなどで多くの人が発信することが当たり前になってきた世の中で、

コスパおすすめなどをよく見るが、限られた人生の中で自分の時間を大切にしたい、人生100年の中でお金がたくさん必要になると謳われて

よりコストとパフォーマンスが重要視されている。

けど、ちょっと待ってほしい。

あなたが欲しいものはたくさんの人がいいと言っている、誰にでも当てはまるものなのか。

それほど、自分自身の好きという感情だったり、ワクワクする感情はみんなと同じなのだろうか。

その気結果選んだものは、自分が何か作り出すときにより良いものを作るのにコスパがいいからで済ませていいのか。

使っていることが楽しい、興奮する、見るだけでワクワクするそれを選んで使い倒すことの方がなんか気持ちがいい。

目的さえ成し遂げれば、

鉛筆も文字が書ければなんでも同じである。

それがボールペンでも、シャーペンでも、万年筆でも。

ただ、書くことだけを考えるのか。

そのに自分の感情ものせて書くのか。

せっかくつくるなら、発信するなら拘りきったものを誰かに伝えたい。

コストがどれだけかかってもいくらでもパフォーマンスは自分自身であげることができるから。

最初からコストパフォーマンスがいいものばかり使っていると、それしか使えない自分になってしまうんじゃないか??

多くお金を使えばいいというものでもないかもしれないけど、いくらでも使っていくらでもパフォーマンスさせてしまえば、結果として一番コスパがいいってなるのかもしれない。

コストとパフォーマンス

最近、冬山登山に向けて何かと買い物をする回数が増えてきたので、買うときの基準に「コストパフォーマンス」を考えている自分がいたので振り返ってみた。

お金をかければかけるほど上がっていく性能。どこまでが自分の限界で、

どこまでは妥協できて、どこまでが妥協できないかをひたすらに考える。

コストパフォーマンスで考えるときは、いかに安くて、性能が高いかどうかを考えることになる。

たくさんの商品と比較して、自分の中で、人を巻き込んであーでもない、こーでもないと考え続ける。

これって、振り返ってみると妥協点をひたすらに考えてることになる。

それで、満足していい買い物となればいいのだが、どうもしっくりこない。

たくさん考えて、ある意味自分で納得して買い物をしているはずなのに。だ。

どうしてなのか、考えてみたら、好きとかピンとくるとかの感情の部分が隠れてしまっているから。

誰かが紹介しているコストパフォーマンスをいいと言われている商品を買ったところで、満足いくかどうかは、買ってみないとわからない。

むしろ、その人にとってのコストパフォーマンスと、あなたの思うコストパフォーマンスは違うので、満足できないかもしれない。

そんな買い物は一見賢くやりくりしているように見えて、実際はどうなのかな?と、自分自身はあまり納得できなかったので、好きって感情だったり、このデザイン!!!ってなるようなものを求めることが結果として

コストは増えるかもしれないけど、コストが増えるということはパフォーマンスをいやでも上げてしまいたくなるわけで。

どんな商品でも?どんなものであっても、最高のものを手にして、それに見合ったパフォーマンスをさせられる自分になってしまった方が、なんか楽しそうな気がする。

無駄に高い買い物をすればいいというわけではなくて、

その商品が好きでピンときたんなら、コストパフォーマンスを考える前に、無限に使い倒してやるぞくらいの方が、商品も生まれたかいがあるのかもしれない。