原因自分論を超えて:自分軸で選択する生き方

まとめ

1. 相手の期待に振り回される自分を解放するには

私たちはつい、相手の期待に応えようとしてしまいます。しかし、期待に振り回されることで、自分の意志が見えなくなることもあります。その結果、ストレスやモヤモヤを感じ、自己否定に陥ることさえあります。
相手の期待に左右されず、「自分はどうしたいのか?」を問い続けることが大切です。相手がどう感じるかは相手自身の問題であり、それに振り回される必要はありません。相手の期待を手放すことで、心の自由を取り戻せるでしょう。

2. 自分の基準を持つことの大切さ

相手の反応や態度を気にするあまり、自分の基準を見失っていませんか?誰かに配慮すること自体は素晴らしい行動ですが、それが自分を苦しめるなら見直す必要があります。
まず、自分が大切にしたい基準を明確にしましょう。それができれば、他人に振り回されることが減り、自分らしい行動が取れるようになります。また、相手に期待するのではなく、自分から積極的に行動することで、心の負担が軽くなることもあります。

3. 自分の課題と他人の課題を区別する方法

すべての問題を自分で解決しようとするのは、時に傲慢と言えるかもしれません。他人の課題まで背負い込むことで、エネルギーを消耗してしまいます。
「これは自分がコントロールできる範囲か?」を意識して、必要以上に干渉しないようにしましょう。他人の感情や反応を尊重しつつ、自分が本当に影響を与えられる部分に集中することで、効率よく問題解決が進みます。この習慣が身につけば、日々のストレスも軽減されます。

4. 選択の連続が人生を形作る

どんな選択にもリスクと可能性が伴います。選んだ結果が期待通りでなくても、それが新しい学びや成長につながることを信じることが大切です。
自分の選択を他人に委ねず、自分軸で判断することで、結果に対する責任を受け入れる覚悟が生まれます。小さな選択の積み重ねが、あなたの未来を大きく変える鍵となるでしょう。

5. 他人を信じつつ自分を大切にする生き方

他人を尊重し、相手の感情に寄り添うことは大切です。しかし、その過程で自分の感情や意志を犠牲にする必要はありません。
「自分がどうしたいのか」を最優先に考えながら、相手にも優しく接することで、双方にとって心地よい関係が築けます。自己主張と共感のバランスを取りながら、自分も相手も尊重する生き方を目指しましょう。

本文

相手に期待しすぎている部分と、自分だったらこうするが強すぎてなんでこうするんだ?って疑問が強すぎるんだろうな。先入観が強すぎるからそれ以外の行動がよくないこと!みたいに思ってしまって自分も相手も責めてしまっている。

今目の前で起こっていることが自分にとっては最善であって、自分を振り返るきっかけをたくさんくれている。一見よく見えること、一見悪く見えることどちらにとっても長い目で見れば必要なタイミングで必要なことが起こっている。

そして、必要な人にも会っている。

ある人を優先すると、ある人が優先されなくなる。それは避けられないことであとは自分が誰を優先するかに悩んでしまう。相手の機嫌をきにしちゃうから。自分がどうしたいかじゃなくて周りの人を怒らせないようにするために、一番いい方法を考えてしまう。

相手の期待通りに行動はできないし、なのに期待に応えようと動こうとしてしまって、そのもやもやを考えることがすごくストレスなんだろう。

あーすればこうなる、こーすればあーなる。どっちの結果も見えてしまうしそうなると、もう運命に任せるしかないかって自分の選択を諦めてしまう癖ができてしまっている。自分にとって一番いい方法は何なのか考える癖が完全に抜け落ちてしまっているので改めて考えてみよう。

そうしないと結果として、人を振り回してしまうのとその人にとっての違う選択肢とどちらの方がいいかは私が決めることじゃなくてその人が決めること。こうだろうなを決めつけてしまうことで、自分も相手も行動を制限してしまうことになる。

お互いに思ったことと違うにならないようにするためには、こちらから思ったことを素直に表現して、自分にとって一番いいことを選択する。こうなっちゃったではなくて、いや、こうなっちゃったを楽しめる余裕が今まではあったんだけどな。

これも考え方次第だよなー。そういう意味では余裕があるのは後者だよな。

自分の中でこうしたほうがいいよなって感覚が強くあって、その理由をうまく伝えられないことにもやもやしちゃったりもするから。気遣いの方針の違いじゃないけどそのずれを減らせるように。

どちらにしても、自分の基準を明確にした方が周りを振り回していろいろ考えることもなくなる。たぶん、気を使ったのにそれを受け取られないことに対して苦みを感じているんだろうな。気を遣ってくれてありがとうが根本にあるからこそ、お互いに気持ちがいい気遣いがなりたつんだろうな。

というか、自分自身が一番相手に求めてしまってるね。優しさも気遣いも。

相手がするなら私もしますよって。一番相手にすべてをゆだねちゃってるよね。完全に相手任せの自分は悪くないですよスタンスになってしまってる。

そうじゃなくて、相手がどうであれ、自分はこうする。

相手の機嫌や態度に左右されずに、自分は自分がやるべきことをやる。それだけでいいはずなのに、自分の機嫌まで誰かに託していたら上機嫌でいられることは一生ないかもしれない。

誰かが自分の機嫌を取ってくれるのを待つ必要もないし、誰かが起こったり不満に思っていたとしてもそれと自分は全く関係がない。その人はそうしたくて、その感情を持っているんだから私にはどうすることもできないし、どうする必要もない。

なんだろうねー。思ったことをしようとするとすごい勢いで反対というか、よくない方に流れてしまって。

これが最善だと考えると、今考えられる楽しいことは何だろう。

自分の意思を出すと、相談してって言われるし。相談しようとすると、自分の意志は?って言われるし。そこにも自分の意志がどうかって話になるのか。

いろんな人の責任にして自分の選択から逃げていることになるから。

相談のタイミングが遅いのか?いろいろ言われるけど、核心部分になると明言を避けられる。気づくまでというていのいい言葉を使って。

ちょっと落ち着いて考える時間があったほうがいいのかもね。

どっちが冷静になれてないのか、正解とかではないんだけど

今の状態はお互いに正常じゃない気がするし、あまのじゃくな選択を使用としている気がする。本当にそうしたいわけなのか?ただ、自分が反応しているだけじゃないか?

相手の反応に影響されすぎずに、反応に対してどう思うか

相手はどこにその感情が生まれているのか。冷静に話し合いをしたいだけなのにこうなんだけどどう思う?あ、そういう意図で使用としてくれたのね、じゃあこうしたほうがいいね!って進めたいだけなんだけどな。

そうならないってことは、なにか引っかかる部分があるんでしょう。

怒りや感情の中にはそうなって欲しいっていう理想があって。私が望んでこの現実を選んでいるのだとしたら自分自身に何を伝えたいんだろう。私がしたいこと、相手がしたいこと、それぞれがしたいことがたくさんあって。したいことも違えば、相手に合わせすぎる必要もないし、したいことを選んでいいのは間違いない事実。

それぞれがそれぞれに自分の都合があって、相手の感情に左右されずに自分の選びたいことを選ぶ。わざわざ、自分が都合悪くなるようなことは選ぶ必要がない。その先に自分の幸せがあるからこそ選ぶのであってその先の未来のために今の少しの時間をかけることは大切なんだけどその基準を間違わないようにしないとどんどんずれてしまう。基本的にみんなが私のためを思ってやってくれていることは間違いないんだろうけど、全部が全部その通りにする必要もなくて。

とりあえず、なんであれ今できることは自分のやるべきことに集中すること。他のことに気が散りすぎてやりたいことに集中できないのは自分の責任だから。

そうすれば、どんな状況であれ自分のペースで自分のタイミングで必要なことを見つけながら進むことができるようになる。ここではそれが常識。世界が広くなればなるほどそんな考え方もあっていいよね。って言い合える世界がある。その場所に環境に自分を置くことが必須になってくる。

前後でどんなことが起ころうとも、一度決断してしまえばあとは進んでいくことに集中する。集中できる。あれしよう、これしようと進んでいない時間を短くして結果はどうであれ進んでいく。出てくる結果を一つ一つ受け取っていく。どんなことが起ころうとも、一つの結果であることは間違いないので、その時にした選択は何だったのか、どんなことを考えてその選択を行ったのか。それさえ自分がわかっていれば前向きに進むことができる。

自分で判断して解決できる範囲がどこまでなのか。それ以上は自分の力の及ばない部分なのか。それを勘違いしてしまうと余計なことにエネルギーを割いてしまうことになる。それってある意味で傲り?傲慢なのかもしれない。

自分は何でも干渉できて、なんでも自分次第でなんとかできるって。自分ではどうしようもない部分に何かをしようとあくせくしていて、それによって自分以外の誰かにも影響を与えてしまう。それは私は望んでいない。

自分以外の考えも受け入れつつ、この問題は自分がコントロールできる部分はどこまであるのか、それに対してどんなアプローチを試してみるのか。誰かはできる部分でも自分ができない部分もあるし、その逆ももちろんある。自分にとってこの課題はどこまでが自分の物なのかをよくよく考えることによって領域を広げることもできるかもしれないし、思い悩む範囲がぐっと狭く深くできるかもしれない。

そうすることによってより自分の考えている世界のもっと深い部分を知ることができるし、自分がより深まることによって世界に対してもっと優しく接することができるようになる。そうなれば、私にとっても世界にとってももっと優しい世界になるんじゃないだろうか?

いつからか、優しさをどこかに落としてしまった気がする。

いや、そもそも優しさって何だろうって話か?どんどん深みにはまってるような気もするけど、、つまり、自分の意志で選んで欲しいって話だよね?そしてそれを言って欲しいって感じなんだろうね。

English

There’s a part of me that expects too much from others and insists on “I would do it this way,” leading to strong doubts about why someone else didn’t. My preconceptions are too rigid, making me think that actions outside my expectations are inherently wrong, and as a result, I end up blaming both myself and others.

What is happening right now is, in fact, the best for me and provides numerous opportunities for self-reflection. Whether something seems good or bad at first glance, in the long run, everything happens at the right time and for a necessary reason.

And I am meeting the people I need to meet.

When you prioritize one person, another person inevitably gets deprioritized. That’s unavoidable, but it makes me worry about whom I should prioritize. I get caught up in others’ moods instead of focusing on what I truly want. I end up trying to find the best way not to upset the people around me.

I can’t always act in line with others’ expectations, yet I still try to meet them, and the stress from overthinking that gap is overwhelming.

“If I do this, then that will happen; if I do that, then this will happen.” Seeing both outcomes paralyzes me, and I develop a habit of surrendering my choices to fate. The habit of considering what’s truly the best way for me has completely fallen away, and I need to rethink it.

Otherwise, I end up controlling others or limiting their choices. Deciding what is better for someone else isn’t my role—that’s their decision to make. By assuming “this must be the right way,” I restrict both myself and others in their actions.

To avoid creating misunderstandings, I should express my thoughts honestly and choose what’s best for me. Instead of “this is just how it turned out,” I used to have the capacity to enjoy things even when they didn’t go as planned.

It’s all about perspective, isn’t it? In that sense, having room to adapt seems better.

I often feel frustrated because I have a strong sense of what I think is “right,” but I struggle to communicate the reasons behind it. It’s not so much a matter of differing approaches to consideration, but I want to reduce these misalignments.

Ultimately, clarifying my own standards will reduce the stress of trying to accommodate others or overthinking situations. I’m probably bitter about putting in effort that goes unacknowledged. Mutual appreciation, like “thank you for being considerate,” is the foundation of pleasant interactions.

That said, it’s also clear that I’m the one who’s placing the highest expectations on others—expecting kindness and consideration.

“If they do it, I’ll do it too.” I end up completely delegating everything to them, adopting a stance of “I’m not at fault because it’s up to them.”

Instead, regardless of what the other person does, I will do what I believe is right.

I shouldn’t let someone else’s mood or attitude dictate my own. As long as I do what I need to, that should be enough. If I hand over responsibility for my mood to someone else, I might never experience consistent happiness.

There’s no need to wait for someone to cheer me up, nor does it matter if someone is upset or dissatisfied—that’s entirely unrelated to me. They feel that way because they choose to, and it’s not something I can—or need to—control.

What is it, I wonder? Whenever I try to act on my thoughts, things seem to take a wrong turn or meet opposition.

If this is the best outcome, what fun things can I think of right now?

When I assert my own will, people say, “Consult me.” When I try to consult them, they say, “What’s your decision?” Again, it circles back to whether I have a clear will of my own.

Shifting responsibility onto others is just a way to avoid facing my own decisions.

Am I late in consulting others? I hear so many comments, but when it gets to the core issue, people avoid giving clear answers, hiding behind phrases like “You’ll realize it eventually.”

Maybe I just need some time to calm down and reflect.

It’s not about who’s right or wrong, but right now, neither of us seems to be in a balanced state. It feels like I’m making choices out of contrarian stubbornness. Is that truly what I want? Or am I just reacting to circumstances?

Instead of being overly influenced by someone else’s reactions, I need to focus on how I feel about their responses.

Where are their emotions coming from? I want to have calm conversations like, “This is what’s happening—what do you think?” Then ideally, the other person would respond, “Oh, that’s what you meant. Then this approach might work better!” and we could move forward smoothly.

If that’s not happening, then something must be unresolved.

Within anger or strong emotions, there’s usually an ideal they’re aiming for. If I’m the one who wanted this reality, what am I trying to tell myself? There are so many things I want to do, things the other person wants to do, and they don’t always align. I don’t need to over-accommodate, and it’s undeniable that I’m allowed to choose what I want.

Each of us has our own priorities, and choosing what aligns with my happiness, without being swayed by someone else’s emotions, is perfectly fine. Investing a little time now for the sake of future happiness is crucial, but I need to ensure my standards don’t deviate.

Most people’s actions likely stem from goodwill, but I don’t need to follow every suggestion to the letter.

For now, what I should do is focus on what I need to accomplish. If distractions prevent me from concentrating on what I want, that’s on me.

By doing so, no matter the situation, I can proceed at my own pace, identifying what’s necessary along the way. That’s the norm here. The broader the world gets, the more we’ll find people saying, “That’s a valid way to think.” I need to place myself in such an environment.

Once I make a decision, all that’s left is to move forward and focus. By shortening the time spent hesitating, I can keep advancing, regardless of the results. I’ll take each outcome as it comes, reflect on the decisions that led to it, and as long as I understand my own reasoning, I’ll keep moving forward positively.

What can I realistically solve? What lies beyond my control? Misjudging this leads to wasted energy. In a way, isn’t that arrogance?

Thinking I can meddle with everything, that everything depends on me—it’s exhausting to struggle with what I can’t control, and it affects others too. That’s not what I want.

By acknowledging others’ perspectives while evaluating what I can control and exploring approaches I can try, I might expand my boundaries or narrow the scope of my worries.

This way, I’ll understand the deeper aspects of my world, and as I deepen myself, I’ll be able to interact with the world more gently. If that happens, perhaps the world will become kinder for me—and for everyone.

At some point, I feel like I lost touch with kindness.

Or is it a matter of asking, “What is kindness in the first place?” I might be overthinking this, but in the end, it’s about wanting people to choose for themselves and communicate their intentions, isn’t it?