継続と工夫で新しい発想を生み出す方法

まとめ

1. 継続の重要性

継続することは、目標達成への第一歩です。結果を急ぐあまり、途中で諦めてしまうと、努力が無駄になってしまいます。継続することで、スキルや知識が積み重なり、時間をかけて大きな成果を生み出す基盤が築かれます。また、継続は自己信頼を高め、困難な状況でも前向きに取り組む力を養います。成功者の多くは、地道な努力と継続的な努力を続けてきた人々です。短期的な結果にとらわれず、長期的な視野で取り組むことが重要です。

2. 続けるための工夫

継続を支えるためには、日々の工夫が欠かせません。まず、自分に合った目標設定が重要です。具体的で達成可能な目標を立てることで、モチベーションを維持しやすくなります。また、習慣化するためのルーティンを作ることも効果的です。例えば、毎日同じ時間に取り組むことで、無理なく続けられる環境を整えます。さらに、小さな成功体験を積み重ねることで、達成感を感じやすくなり、継続の意欲が湧きます。定期的な自己評価やフィードバックも、改善点を見つけるために役立ちます。

3. 新しい発想を生み出すプロセス

継続と工夫を通じて、新しい発想やひらめきが生まれる過程は非常に重要です。毎日のルーティンに少しずつ新しい要素を取り入れることで、創造性が刺激されます。例えば、新しい知識を学んだり、異なる視点から問題を考えることで、従来の方法では見えなかった解決策が浮かび上がります。また、休息やリフレッシュを取り入れることも、新しいアイデアを生み出すためには欠かせません。脳をリラックスさせることで、無意識下での思考が活発になり、革新的な発想が生まれやすくなります。

4. 失敗を恐れず挑戦する心

多くの人が失敗を恐れて新しいことに挑戦できずにいます。しかし、失敗は成功への重要なステップです。失敗から学ぶことで、次の挑戦に活かすことができます。恐れずに挑戦することで、自分の限界を広げ、新たな可能性を見つけることができます。また、失敗をポジティブに捉えることで、自己成長を促すことができます。成功者は、失敗を糧にしてさらに高みを目指しています。恐れずに前進する勇気を持つことが、継続と工夫の本質です。

5. 自己理解と成長のための時間管理

自己理解を深めることは、継続と工夫を支える重要な要素です。自分自身の強みや弱みを理解することで、効率的に目標に向かって進むことができます。また、時間管理を徹底することで、無駄な時間を減らし、重要なタスクに集中することが可能になります。優先順位を明確にし、計画的に行動することで、ストレスを軽減し、継続しやすい環境を作り出します。定期的な自己評価を行い、必要に応じて計画を見直すことで、常に最適な状態を維持することができます。

6. 継続と工夫がもたらす自由と豊かさ

継続と工夫を実践することで、自由と豊かさが手に入ります。自分の意志で行動を選び、目標に向かって進むことで、生活にゆとりが生まれます。また、自己成長を続けることで、新しいスキルや知識が身につき、経済的な安定も得られます。さらに、継続的な努力は、人間関係の充実や精神的な安定にもつながります。自由な発想と豊かな生活を実現するためには、日々の継続と工夫が不可欠です。

本文

意味があるかどうかは置いておいて、結果を急ぎすぎると余計なことを考えてしまう。結果どうこうよりもまずは継続することを目的にしてみる。

繰り返すこと、続けるための工夫をまず考えてみる。継続なしには結果の出ようがない。短期的には意味がないように思えることでも時間をかけて、少しづつの工夫を重ねていくことによって気づかないうちに新しい発想やひらめきが訪れるときがくる。

何もしなくて、ただ考え続けるより。

なんだかんだ、自分が一番恐れていることはうまくいくかどうかわからないことをやって時間をぱっとみで無駄にすることが嫌だったのかもしれない。うまくいけば+で、うまくいかないことを時間の無駄だと考えてしまっている。

これだな。

自分が一番、失敗に対して恐れているし

その時間をめちゃくちゃ無駄だと。そんなことするくらいなら、チャレンジして失敗して嫌な気持ちになるくらいなら何もしない。という結論を自分で出してしまっていた。正直気づきたくない、向き合いたくない部分でも気づくことができて本当に良かった。そうならないための本とかも読んできたけど、こうやって自分の内側にじっくりと向き合うことによってあれ?もしかして、学んではいるけど一番自分が気づくべきことに気づけてないんじゃないか?と思うことができるようになった。

あー、あの時間無駄だったなーが自分にとって一番悲しい言葉だよね。やると決めて頑張ったのにそれを一番自分が傷つくような発言をしてしまうから。それは本当にやめようと思った。頑張ってる自分を、頑張ってきた自分が傷つけるなんて恐ろしいことしちゃってる。

できたから、〇

できなかったから、×

その常識を下らねーと思いつつ、そんなくだらねーことを一番自分に向けてしまっていた。気づくのに数年いや、数十年かかってしまったけど気づけたおかげで自分にめちゃくちゃゆとりをもって接することができるし、いろんなことを前向きに取り組むことができるきっかけになる。どんなことが起こっても前向きに取り組むための礎を作ることができて、本当に良かったと思う。すごく生きやすくなるし、どんなことでも自分の判断を信じることができるようになる。大切な人をもっと大切にできるし、そのための時間と労力を割くことができるようになる。割くというよりも優先するべきことを自分の意志でえらぶことができる。

自由。

富。

健康。

豊かさ。

新しいことへのチャレンジをやめたときに退屈しているんだなと振り返ってみる。

慣れ親しんだ環境で、新しいことに取り組むでもなく現状を変化させたいけど自分の思い描くままに取り組んでいくことをやめる選択をした時に退屈が襲ってくる。いや、むしろ退屈を自分で選ぶようにしているくらいのレベルで。

思い描く部分が明確なんだけど、それに伴わない行動をしているとうまくいかない部分が出てきてしまう。そして自分の中でもやもやしてしまう。

継続してやっていくためにも、自分自身の中に新しい刺激を入れる意味で芯としてやっていく部分と+αで遊ぶ部分を分けてやっていくと継続もしやすくなる。全部が全部まじめにやってしまうと遊びの部分がなくなってしまって息苦しくなることをいい加減学習しよう。

遊べるゆとりがあるからこそ、その取り組みに対してゆとりを持つことができる。

目指すものが違えば、それに必要なこともおのずと変わってくるしいろんな人のいろんな意見があっていいと思うからこそ、自分自身もそうありがたいなって思うからこそ、自分の芯を思い描く部分を明確にすることによって自分の中でのずれを無くすことができるようになる。

いろんな世界があって、いろんな人がいて。違う世界を容易に覗くことができるようになった世界だからこそ自分のとらえ方やそこからの判断のステップが重要になってくる。

自分と全く違う世界が、今までは見えなかったものだけど今は何でも見えてしまう。

見ちゃうと、嫌でも意識してしまう。

いや、図太く行ける人は何ともないのか。何かを見ても感じるものが少なかったり、(少ないことが悪いとかじゃなくて)多いがゆえに、余計な部分に気を取られたり消耗したりする部分が大きくなるのであればそれは考え物。

感じ取れることが多いこと自体は、とてもいいことだし素敵な能力なんだけど才能を使い誤るとおかしな方向に陥ってしまう。天才ハッカーが悪いことしちゃうじゃないけど、そういうのを見るたびに、その才能を世のため人のためにつかれば、、なんて言葉をよく聞くけどそれに近いようなことがあるのかもしれない。

せっかく、いろんな感性でいろんな才能を感じ取れる能力があるんだから、それをつかって自分を落ち込ませるような使い方じゃなくて、自分がもっとワクワクするような、ちょうどいい刺激くらいのものをよく探してちょこちょこ取り入れていく。

継続するべきことを継続しやすい形にするために、そして何より飽きてやめないためにw継続へのハードルを下げつつ新しいことで刺激を入れつつ。常に楽しく新しいことに取り組む姿勢を忘れないようにしていれば成長する部分と、継続でスキルが磨かれる部分と。

自分が向かっている方向性が正しいかどうか。いや、正しいって誰にとって正しいんだろう?自分にとって?ほかの誰かにとって?

正しさだったり、完璧だったり。追いかける先にあるものは自分の理想なのか、誰かの理想なのか。ちょっと学んだがゆえに調子に乗ってそこで評価されている武器をもって外に出かけるとぼこぼこにされる事はよくある。その場所では通用していたことでも、違う場所では通用しないこともあるし、逆にこれくらいでこんなに評価されるのか!?って思うことも出てくる。

English

Setting aside whether it has meaning or not, rushing for results makes you think unnecessary things. Instead of focusing on the outcome, try making the first goal to continue.

First, think about repeating actions and the ingenuity needed to keep going. Without continuity, results cannot be achieved. Even things that seem meaningless in the short term will, over time, lead to new ideas and inspirations through gradual improvements without you even realizing it.

Rather than doing nothing and just continuously thinking about it.

After all, what I fear the most is doing something without knowing if it will work and wasting time at a glance. If it works, it’s a plus, and if it doesn’t, I consider it a waste of time.

This is it.

I fear failure the most.

And that time is incredibly wasted. I might have hated wasting time so much that I concluded that rather than challenging myself and possibly failing and feeling bad, I would do nothing. Honestly, I’m really glad I was able to notice even the parts I didn’t want to acknowledge or face. I’ve read books to prevent this, but by thoroughly confronting my inner self like this, I began to think, “Wait, maybe I’ve been learning, but haven’t I failed to notice what I should be aware of the most?”

Ah, saying “That time was wasted” is the saddest thing for me. Even though I decided to do it and worked hard, I ended up making that statement that hurts me the most. I really wanted to stop that. It’s terrifying that the version of myself who is trying so hard is hurting the one who has been working hard.

Because I was able to do it, it’s a ✅

Because I couldn’t, it’s a ❌

While thinking that common sense like that is stupid, I ended up directing such trivial things primarily at myself. It took years, no, decades to realize, but being able to notice it allowed me to treat myself with immense leniency and became a catalyst for approaching various things positively. I’m truly glad I could lay the foundation to approach anything positively, no matter what happens. It makes life much easier, and I can trust my own judgments in anything. I can cherish the important people even more and dedicate the necessary time and effort for that. Rather than dedicating, I can choose what to prioritize based on my own will.

Freedom.

Wealth.

Health.

Prosperity.

When I stopped challenging myself with new things, I reflected that I was getting bored.

In a familiar environment, without engaging in new activities or trying to change the status quo as I envision, boredom attacks when I make the choice to stop pursuing what I imagine. No, rather, it’s like I’m choosing boredom myself.

My envisioned part is clear, but when I act in ways that don’t align with it, issues arise, and I become frustrated within myself.

To continue doing things, and to introduce new stimuli into myself, I need to separate the core part that I do and the additional part that plays, making it easier to maintain continuity. If I take everything too seriously, the playful part disappears, and it becomes suffocating. I’ve finally learned to stop that.

Because I have the leisure to play, I can approach those endeavors with ease.

If what I aim for is different, what is necessary to achieve it naturally changes. Because there are various opinions from different people, I think it’s great, and I appreciate it. By clarifying the core part that I envision, I can eliminate discrepancies within myself.

There are various worlds and various people. Because the world has become one where I can easily peek into different worlds, my way of perceiving things and the steps of judgment from there have become important.

There are worlds completely different from mine that I couldn’t see before, but now I can see everything.

When I see them, I can’t help but be conscious of them.

No, maybe people who can go through things boldly don’t mind. If you see something and don’t feel much about it, or because you feel a lot, you get distracted by unnecessary parts or become exhausted, then it’s something to think about.

Being able to feel many things itself is very good and a wonderful ability, but if you misuse your talent, you might end up going in a strange direction. Just like how a genius hacker might do bad things, every time I see such things, I often hear phrases like “If they use their talents for the good of the world and people,” but there might be something similar happening.

Since I have the ability to perceive various talents with different sensitivities, I should use it not in a way that makes me feel down, but by frequently finding and incorporating just the right amount of stimulating things that make me more excited.

To make the things I should continue to do easier to maintain, and most importantly, to avoid getting bored and quitting, while lowering the hurdles to continuation and introducing new stimuli. If I always approach new things with fun, I can grow and hone my skills through continuity.

Whether the direction I’m heading is correct or not. No, for whom is it correct? For me? For someone else?

Correctness and perfection. Is what I’m chasing my own ideal or someone else’s ideal? Because I’ve learned a little, I sometimes get carried away and go out with the weapons that are being valued there, only to get beaten up. Even things that worked in that place don’t work in a different place, and sometimes I wonder, “Do I get this much praise for just doing this?”