子供の頃に苦手だったことは 学校編

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1. 朝が苦手な理由と自己抑制

子供の頃、朝起きるのが苦手だった理由は、過剰な自己抑制によって心身ともに疲れ切っていたからです。他人からの評価を常に最優先し、自分自身を抑え込む生活をしていたため、エネルギーを消耗していました。無意識のうちに、周囲が求める「良い自分」を演じることに必死になり、本来の自分を表現する機会が少なくなっていたのです。これにより、夜は疲れ果てて早く眠るものの、朝になるとエネルギーが枯渇していて、再び動き出すのが非常に苦しかったのです。

2. 複数人の中での自己混乱

学校生活では、複数の人に対してどう振る舞えば良いかを考えすぎたため、動けなくなることがありました。友人やクラスメート、教師など、それぞれの期待に応えようとするあまり、「誰に合わせて自分を演じるべきか」が分からなくなっていたのです。その結果、対人関係において自己を見失い、複数人と一緒にいる状況がストレスとなっていました。この混乱が今も続いており、特定の状況では「自分らしさ」を見つけられないことが依然として課題となっています。

3. 他人に合わせるための努力とその結果

当時、他人に好かれるために一生懸命時間を調整して相手に合わせる努力をしていました。しかし、ふり返ってみると、その努力が報われたとは言い難いと感じます。仲良くなった人がいたものの、その関係が続くことは少なく、時間やエネルギーを費やした割には、長期的な成果が得られなかったのです。さらに、自分が本当にやりたいことを犠牲にしてまで相手に合わせていたため、結果として自分自身を見失い、満足感を得ることができない日々が続きました。

4. 自己防衛と堂々巡りの思考

他人の期待に応えようとする過程で、自分自身を守るために考えすぎる傾向が強まりました。常に「正解」を求めて答えを探す中で、考えが堂々巡りになり、最終的には何も行動できなくなることが多かったのです。こうして、自分を傷つけないように防御する癖がついてしまいましたが、それがかえって自由な行動やチャレンジを妨げていたことに気づきました。考えすぎることで、結局どの選択肢も正解が見つからないまま時間が過ぎてしまうという悪循環に陥っていたのです。

5. 自己受容と自由の発見

他人の期待から解放され、自分らしさを見つけた時、初めて心からの自由を感じました。「自分なりにやること」が最も大切で、そうすることで自分の中に喜びが生まれることを再確認しました。自分を守りすぎることで何もできなくなるのではなく、時には失敗や傷つくことを恐れずに自分のやり方を試すことが重要だと気づいたのです。この発見により、これまでの考え方を少しずつ変えることで、より自由に行動できるようになりました。

6. 他者の期待と自己の感覚の違い

他人が自分に対して持つ期待と、自分自身の感覚が違っていても、それは問題ではないと気づきました。周りの人がどう思うかにあまり囚われず、自分だけのペースで、自分なりのやり方で進んでいくことが最も気持ちよく感じられると理解したのです。自分の内なる感覚に従うことで、他人の評価に左右されず、自分の価値観を大切にしながら生きることができるようになりました。この自己信頼が、人生において本当に重要なことだと実感しています。

7. 過度な自己防衛からの脱却

過度に自分を守る必要はないと感じ始めました。何が起こっても大丈夫と思えるようになれば、どんな経験でもポジティブに捉え、成長の糧にすることができるからです。この気づきによって、過去の苦労も自分なりの成長のステップと捉えられるようになり、新たな挑戦に前向きに取り組む自信が芽生えました。自分らしい体験を通じて得られる学びが、今後の人生において重要な指針となると感じています。

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子供の頃に苦手だったこと

学校

朝起きるのがそもそも苦手だった。一生懸命に生きすぎてすぐ寝て、朝は起き切らん。みたいな感じだった。誰かの評価を最優先して自分じゃなくて誰かが良いとする偶像を信じてまっしぐらみたいな。

複数の人がいるときには、誰に自分を合わせていいかわからなくてどう振る舞っていいか困ってた。それは、あの人にはこう、あの人にはこう、でもこの人の前でこんな振る舞いをしたら嫌われるんじゃ、、となると、動けんみたいな感じ。

振り返ってみると今もそうだなー。だから、複数人が苦手というか誰用の自分だっけ?って毎回なってしまう。誰に対しても自分であれば関係ないのにね。

そういう意味でも、学校生活では誰にとっての自分であろうとすることに疲れていたんだと思う。そんなこと考える人なんていないのにね。どこかのタイミングで、ひとりぼっちになる寂しさを味わったんだろう。あ、このままじゃ一人だわって。

そうやって生きてきた結果仲良く慣れた人は誰なんだろう。その時は仲良くするために一生懸命やってきたのかもしれないけど、今誰が残ってる?その懸命さはむくわれたかな?

好かれるために、時間をやりくりしてその人に合わせて。本当に自分がしたいことだったらいいんだけど、そうじゃないけどそうすればその人が喜んでくれると思ってやったことは、、、特にすることがないから、そちらを優先した部分もある。

そう考えると、フットワークが重くなるよなー。といって、フェリファブ哲学さんで言われている「エゴ」がエンドレス湧き上がり現象になる。堂々巡りは止まらない。

ああでもない、こうでもないと考えを巡らせて一つの答えに行き着くこともできるけど、じっとする時間を作って、考えが出てくるまで待ってみてあげたい。ぼーっとしてなんか出てきたら教えてねーくらいに。

それくらいのゆるさで自分自身と向き合ってあげたほうが気持ちいい。エンドレスに考えまくって出てきた答えって、誰かの何気ない一言で一蹴されてしまいやすい。それは、そこに自分自身がいなくって、誰かの言葉を借りて誰かの考えを借りてやっているから。

それって違うんじゃないって言われたときに、どこかでやっぱりそうだよねー。俺もそう思ってたんだーっていう言い訳をしやすいように(※これはある意味で自分自身を守るために身に着けたであろう生き延び方)作り上げてるんだと思う。

自分自身が自分自身で考えたやり方で大失敗したときに自分自身を傷つけなくていいように。そりゃたしかに、傷つかない。傷もつかないけどどこにも行けなくなっちゃう。ちょっとくらい傷ついても大丈夫っていう。失敗しても、ダメダメになってもええやん、俺なんだから。むしろ俺らしいじゃんんって。

ちょっとまった、俺らしいってやりたいことをやりたい場所でやりたいようにやって、「自分なりに」やったときに一番喜び感じてるじゃん。そして、その感覚もすでに知ってるじゃん!自分が自分への信頼感が減っていってこんなことしてないとダメじゃん、ほらほらおいて行かれちゃうよ、他の人が進んでるのにそんなことしてていいの?ってお尻をたたきまって。

他の人が私を見たら思うことと、私が私に対して思うことは違っていい。どうも、みんなからポンコツって思われているのが気持ちいと思ってる節がある。それは、自分のやっていることに対して納得感があって、そうは言うけど俺は俺だからさーって。ショウガいないよねwってくらいでよくて。他の人の意見を真に受けすぎちゃうと、そんなの嫌だって!拒否感を示しちゃう。他の人が考えるなにかを達成することはないかもしれないし、こうであると達成することはないけれど、自分の中で自分だけが自分なりの方法で重なっていく感じが一番なにかしてて気持ちがいい。自分にしかわからない自分だけの感覚。

その気持ちよさを忘れてたなー。

逆に、その調子で頑張るもんだから過度に自分を何かから守ることに集中しちゃって。

何があっても大丈夫ってなれば、どの体験でもいいように変換できるからいいんだけどね!今回を通して、自分なりの体験の仕方を見つけることができたから大きな一歩だなー。

よし、この感じだと各項目ごとに盛り上がりそうだからシリーズ化してみよう。

不真面目なこと

勉強

図工・工作

美術

水泳

怒られる事

輪から外れること