受けた感情と、出す感情

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仮に、嫌なことを言われたとしてその後の感情は荒れてしまって、

それを誰かに、同じように渡してしまうとそれがまた誰かに渡っていってしまう。

そこを自分で止めて、むしろいい感情を誰かに渡せると、

直接じゃなくても、自分の行動一つがどこかの誰かの笑顔になる。

目の前には出てこないかもしれないけど、そうなっている。

誰かに道を譲ると、譲られた人も誰かを譲るかもしれない。

それができないとすると、その人自身がそういう優しさに出会えてないのかもしれない。

優しい人に囲まれると、自然と自分自身も誰かに何かをしたくなる。

となると、環境を選ぶのも自分自身。もしくは、その環境さえ自分で変えられる。

もし、今の環境に不満があるとしたら。自分で環境を変えてしまえばいい。そしたらどこででも自分が好きなようにできるから。

何を一番に考えるか

おはな

何を選択しても、誰かにとっては嬉しいことで

誰かにとっては悲しいことかもしれない。

何を一番に考えるかで、大事さも変わってくるしそれがいい悪いでもない。

何を選んでもいい世の中だから、その選択はその人自身を表している。

その人が何を選ぶ人なのか。それによって自分とフィーリングが合うかどうかも見えてくる。

その判断は誰かにとっては不利益があるかもしれないけど、一人でも多くの人にとってメリットのある方法を考え抜けるかどうか。

思った通りに、やりたいことを

できない理由を探すのは簡単だけど、せっかく思いついたのなら

とりあえず、やっってみる。

途中で、いろんな声を聞くことになるけど、無視はせず向き合いながらも進めていく。

その人にとってはダメかもしれないけど、他の誰かにとってはいいことかもしれない。

誰かのためにはならないかもしれないけど、誰かのためになっている。

誰にでも良くするのもいいかもしれない。

せっかくだから、自分を好きな人のために尽くしてみる。他の人が多少雑になったとしても。

その人にとって心地いいかどうかは、こちらが決められることではないから。

ただ、幸せを願う。

何も返さなくてもいいから、ただ嬉しい時の報告だけしてくれと。

そんなことをさらっと言える、大人になろう。

見返りは求めず、ただ自分がそうしたいからしただけ。

そこにお礼はいらないし、ものも返さなくていい。ただ、幸せであってくれればいいよ。

こんなこと言われた日には、人生色々あるけど生きててよかったよね。

整体の力

気づくと、身体って不調を抱えてしまう。

よっぽど意識して普段から生活してないと、どこか崩れてしまう。

久々に整体に行くと、不調が一気に整って体調もいいわ、よく眠れるわ、寝起きも良くて、

頭もスッキリ、なぜか、物事がうまく進む。

不思議な体験。

普段から、定期的に自分を整えておくことが何よりも優先するべきことだと。

機嫌が悪かったり、イライラしている人は自分を大事にしてあげれてないんだなーっと。

大切にするだけで、世界はこんなに平和なんだなーって実感。

ご機嫌斜めは伝染するので、その発祥地にならないように。

仲間が増えていく

なんでも、やってるうちにどうにか形になっていく。

始めたことがあるのと、聞いたことがあるのは意味が違う。

せっかく、今元気で自由に動く身体があるうちにできることをやっておく。

刺激を受ける、刺激を与える。

よし、自分も!そう思えるかどうか。

活動を通して、やるかやらないかは強制しない。

みて、楽しそうだと感じるか。感じられるかどうかは自分次第。

その感性が腐らないように。いつも少しだけ磨いてあげる。

仲間は、常に一緒にいる存在ではなくて必要な時に必要なさぽーとをし合える関係。

常に一緒にいるのは、仲間じゃなくただの群れ。

各々の経験、活動を通して相手の変化を読み取る。

あの時始めたことが

空

あの時、思いつきで始めたことを後になって振り返って

改めてやることがある。

一度はやめているんだけど、またやりたいって思う時

始めたことはあるから、すんなりと元に戻れたり

また違う楽しみ方を見つけたり。

その時の写真や、書いていることを見ると懐かしい思いにもなれたり。

いつやめても、いつでも戻ってこれるって物がたくさんあるのは

ふと、自分がわからなくなったりした時に役に立つのかもしれない。

もしくは、今そうやって思い出せるように

その時に初めていたのかもしれない。

そう考えると、また面白いなぁ。

信頼って

花

自分が勝手に信じて、相手がその通りにならないと怒ったりイライラしたりして。

信じるのは本人の勝手だし、自由なんだけど、

だからと言って裏切られても、文句を言うのは違うのかな。

そりゃないよ!って思うこともあるけれど、そりゃちょっと悲しいけれど。

相手がその選択をするのなら、信じたからには素直に受けるしかないよなー。

裏切られたと感じるのも自分だし、それでも信じるって道もあるんだよなー。

と、落ち着いて考えてみる。

その瞬間だけ、いろんな感情になってよくて

突き動かされることなく、ただ感情を見つめて。

そしたら、それでいいんじゃね?くらいの感覚になる。

許さなくて、結局苦しくなるのは自分だから。

その選択は仕上がりに影響するのか

ものを選ぶときに、よく考えることがある。

こだわるポイントは人それぞれで、

スペックにこだわることもあれば、環境のことをかんがてたり、コストパフォーマンスを考えたり。

これまで、自分自身もいろんな選択をしてきたが選択をしてきた結果が長く残っているのは

スペックやコストパフォーマンスで選ぶものよりも、単純にかっこいいと思ってきたもの。

いまや、SNSやブログなどで多くの人が発信することが当たり前になってきた世の中で、

コスパおすすめなどをよく見るが、限られた人生の中で自分の時間を大切にしたい、人生100年の中でお金がたくさん必要になると謳われて

よりコストとパフォーマンスが重要視されている。

けど、ちょっと待ってほしい。

あなたが欲しいものはたくさんの人がいいと言っている、誰にでも当てはまるものなのか。

それほど、自分自身の好きという感情だったり、ワクワクする感情はみんなと同じなのだろうか。

その気結果選んだものは、自分が何か作り出すときにより良いものを作るのにコスパがいいからで済ませていいのか。

使っていることが楽しい、興奮する、見るだけでワクワクするそれを選んで使い倒すことの方がなんか気持ちがいい。

目的さえ成し遂げれば、

鉛筆も文字が書ければなんでも同じである。

それがボールペンでも、シャーペンでも、万年筆でも。

ただ、書くことだけを考えるのか。

そのに自分の感情ものせて書くのか。

せっかくつくるなら、発信するなら拘りきったものを誰かに伝えたい。

コストがどれだけかかってもいくらでもパフォーマンスは自分自身であげることができるから。

最初からコストパフォーマンスがいいものばかり使っていると、それしか使えない自分になってしまうんじゃないか??

多くお金を使えばいいというものでもないかもしれないけど、いくらでも使っていくらでもパフォーマンスさせてしまえば、結果として一番コスパがいいってなるのかもしれない。